<Another version>「ロック画報・4号」に掲載されているヴァージョンよりも、字数が若干多いバージョンです。
また最後の段落などは完全に異なります。ブートレグ(海賊盤)によくある、
rough demo versionだと捉えてお読みいただければ幸いです。
 

 
 

どの世界にも同好の士が集う盛大なお祭りがある。
ビートルマニアもしかり。毎年8月に開催されるリヴァプールでのコンヴェンションを始め、アメリカ各地や世界の至る所でいろいろ開催されているようだ。
そこでは、各種ディーラーによる中古盤や各種メモラビリアの販売、ビートルズの研究家や関係者の講演等が開かれるが、やはり盛りあがるのがコピー・バンドのライブである。

コピーまたはコピー・バンドという言葉は我が国では一体いつから定着したのだろうか。少なくとも僕が最初に聞いたのは、バッド・ボーイズが「ミート・ザ・バッド・ボーイズ」でデビューした時の紹介でだった。
それ以前は、GSが洋楽リスナーのリーダーのような立場で、ビートルズをはじめヴェンチャーズ、アニマルズなど愛聴している音楽をオリジナルと同じアレンジのままカヴァーしていたが、誰も“コピー”とは形容していなかった。
更にもっと前の時代も、様々なロカビリー歌手やウェスタン歌手がオリジナル音源と似せた出来(仕上がり)を競い合っていた。

つまり、カヴァーの一手法である“コピー”という表現形態は、その時代ごとの洋楽の普及度・浸透度と共に、言葉として登場したりしなかったり、その位置付けを変えたりしているのだ。
この項では、各段階に分けて独断と偏見でそれを説明させていただこう。

1.「初期段階」:
この段階では、コピーもカヴァーもなく、“その曲をやるということ”=“能力相応に原曲に近い形でやる”ということである。オリジナルに忠実に再現するには、この段階の音楽状況では高度な技術が必要であり、本物に似せて再現できる者ほど演奏力の水準が高い、とみなされる段階。とはいえ、この段階のトップレベルの演奏でも、後の第3段階で呼ぶ“コピー”の水準には及ぶべくもない。
ビートルズでいえば、東京ビートルズ(あれとて送り手達はオリジナルを出来る限りそっくりに再現しようとしていたに違いないのだ)や、初期のあらゆるGSがこの段階にあたる。


2.「第2段階」:
オリジナルを忠実に再現できる者が珍しくないほどにその国の技術的水準が次第に高まり、飽和状態になってくると、今度はいかに固有のアレンジを施して呈示するかでセンス・技術が問われる段階に入ってくる。
ここで少しずつ“カヴァー”という概念が登場してくる。やがて、出来不出来とは別に、アレンジして呈示するやり方が多数派となる。
GS末期にリヴァプール・サウンドなどを取り上げた場合、これに該当することが多い。モップスのオリジナルとは似ても似つかぬアレンジの「抱きしめたい」は好例であろう。

3.「第3段階」:
第1段階では当たり前だった、原曲に忠実なカヴァーは少なくなり、敢えてそれを行なう場合は独自のこだわりや意味をもって行なうという“コピー”と呼ばれるようになる。その中で特にマニアックに細部までこだわってコピーする行為を“完全コピー”と呼ばれる。
バッド・ボーイズはこの時代の到来を高らかに呈示した旗手だった。ここで興味深いのは、完全コピーに近いほど演奏能力が高いとみなされる状況が再度生まれたことである。数年後にリリースされたチューリップのアルバム「すべて君たちのせいさ」もこれにあたる。

4.「第4段階」:
洋楽的な民度が高まり、技術的な水準も高いレベルで普及している時代(=今の我々がいるこの時代)に入ると、もはやコピーという行為は(完成度を別にすれば)一部の人間しか出来ぬような行為ではなくなり、それをやるかやらないかという趣味の問題となってくる。ここでの“趣味”とはエンタテインメント性が高くなるという意味であり、センスという意味ではない。送り手本人の快楽(なりきって録音していく快楽・録音したものを自分で聴く快楽・ライブでなりきる快楽)も、聴き手(=マニア。なぜなら、それを聴いてみようと思った段階で意志が働いている)が、そのコピーの完成度を吟味して楽しむ。
この時期のビートルズ・コピー・バンドは百花繚乱。
70年代後半から活躍しているREALは、ハンブルグ・テープや海賊盤イエロー・マター・カスタード(この時期、アット・ザ・ビーブなどはまだリリースされていない)や当時海賊盤で出たばかりのデッカ・オーディション・テープのコピーなどをかなり早い時期からライブで展開してマニアをうならせた。90年代初頭に、ビートルズ・シネ・クラブ(現ビートルズ・クラブ)主催のコピー・バンド・コンテストの第1回優勝バンドにもなった。とりわけジョン役の金塚が発声からMC時の雰囲気まで素晴らしかった(余談ながら、この金塚は、もっと以前の70年代中期にメジャーでソロ作品を出していたという噂を聞いた事がある。なんでもそれに収録されていた『ロックンロール・ミュージック』は、英語かと思わせる日本語詞だったそうで、はっぴいえんどと、サザン〜ラヴ・サイケデリコをつなぐミッシングリンク的位置付けとなる試みかもしれないと想像する)。
REALが初期〜中期のライブ・バンドとしてのビートルズのコピーなら、サイケ期〜後期をキーボードを使用して再現するコピー・バンドにザ・ビートルースがいる。なにしろ本物のビートルズがライブで演奏していない時代だけに“コピー”といっても振舞い方や楽器編成は“もしもの世界”になってしまうのでいささか味わいどころが異なるが、バッド・ボーイズの頃と違い、シンセサイザーや録音機材が安価になり普及した時代のコピー・バンドと言えるだろう。ちなみにこのバンドもビートルズ・シネ・クラブのコピー・バンド・コンテストで優勝経験をもつ。
他にもこの時期のコピー・バンドとしては、80年のテレビ番組「HOT JAM コンテスト」に出場したアロワナ(後にザ・ビーツとして東芝よりデビュー)がある。エレクトロ・ポップ全盛の当時、流行的には底値であったリヴァプール・ベーシックのオリジナル・バンドとして勝ち抜き、ついには優勝したのは毎週観ていて嬉しかった。結局彼らも生活のために六本木キャヴァ―ン的な場所でコピー・バンドとして出演していくことになる。彼らのルーツを存分に堪能するひとときとも言えるが、コピー・バンドとして見られた場合、いささか分が悪く可哀想であった。
六本木キャヴァ―ンクラブ的な場所には、LADY BUG 、PARROTS、Wishing等多くのコピー・バンドがステージに立ったが、バイオリンベースを弾きながらジョンのパートを歌ったり、ジョージがポールのパートを歌ったり、楽器が違うモデルだったり、リンゴがバックコーラスをつけていたり(ヴィジュアルよりサウンド重視というコンセプトといわれれば仕方がないが)、BAD BOYS・REALの在り方に比べると、詰めの甘いコピー・バンドも多かった。ドラマーがリーダーで、彼がメイン・ヴォーカルとしてジョンのパートを歌うタイプのコピー・バンドとなると、もはや本人達の快楽が勝っているとも言えよう。気合いを入れて追求するというより、自分たちが楽しんでやっているという在り方のザ・フライング・エレファンツやザ・くらよし・ビートルズもこの系譜である。
もっともコピー・バンドとしてはそんなバンドの一つと位置付けていた、5人編成のCASHがアルファからリリースしたオリジナル・アルバム「CASH NO ROYALTY」で呈示した1曲目「Things We're Gonna Do」のリヴォルヴァー期のテイストは出色の出来だったから世の中わからない。このようなピンポイントな時期のテイストに挑戦して成功していたのは、他には93年リリースのNYのバンド・The Rooksくらいしか知らないほどだ。

5.「第5段階」:
“コピー”という行為が、好事家(送り手&聴き手)同士のエンタテインメントを越え、新たな段階に入った時期。そしてそれはもう始まっている。
それを感じ始めたのが、昨年ザ・イエロー・ドッグスを知ってからである。彼らのアルバム「ジャカランダ・20ヒッツ!」には、「べサメ・ムーチョ」「シーク・オヴ・アラビー」「クララベラ」「ロンサム・ティアーズ・イン・マイ・アイズ」など、デッカ・オーディション・テープやアット・ザ・ビーブ、ハンブルグ・テープからの曲が満載だ。グルーヴ感も、GS時代とは格段の差。完全コピーしようと繊細に息を詰めてなぞるのではなく、勝手にやっている部分も随所にあるのだがその勢いを含めてむしろ完全コピーと言える域に達しているのだ。
アンソロジーや膨大な海賊盤音源を普通に耳にする事が出来る世代がバンドをやる時代は、東京ビートルズの頃から考えると信じられないほどに洋楽が普及し浸透したことによる、我が国の洋楽に対する民度の向上とあいまって、コピーという手法をこれまでのどの時代とも違う新たな表現形態として成立させているように感じられるのだ。そのバンド名とシンボル・マークが名門海賊盤レーベルであることは、まさに象徴的である。
彼らがジャカランダと名づけ定期的に新宿JAMで開催しているライブ・イベントは、10代〜20代前半の女の子たちが8割。マニアックなレパートリーもほとんどの子が充分知っているようだ。煙草の煙と汗ばむ熱気が立ちこめる、地下のライブハウスでぎゅう詰めになって揺れる女の子たち。その間から時折見える4人の演奏を眺めていると、まさに60年代のキャヴァ―ン・クラブにタイム・スリップした気にさせられた。
ベースとドラムがえらく安定していると思ったら、なんと元ストライクスのメンバーであった。そう、80年代中期にメジャー・デビューしたネオGSの中で最もリヴァプールサウンズ寄りだったあのバンドだ。ライブの合い間のDJタイムにメンバー達が回すレコードは、ピーター&ゴードンやフォーモストなど。女の子たちが次々と目を輝かせて曲名とアーティストを尋ねに来ている。
こんなムーヴメントがひそかに進行しているとは知らなかった。
その後、つんくもビートルズの完全コピー・アルバムを発表した。“完全”コピーと銘打っているだけにこれまでの完全コピー・バンドの水準と比較してどうかといった議論の余地はあるが、それはやはりなんの気負いも繊細さもなく、自分のほとばしる伸び伸びとした音楽的情動だった。細部ではなく、勢い・音圧をコピーしたという点では斬新だったし、ザ・イエロードッグスと共通する、新しい潮流を感じるのは僕だけだろうか。

…ビートルズ旋風が我が国に上陸して、37年。世界各国でのビートルズがチャート1位という形で21世紀が幕を開けた。その37年間は、和製カヴァー・ポップスの歴史を閉じさせ、日本語のロックが定着するまでに、一変した37年であった。
今後、どう音楽状況は変化・成長していくのだろうか。
コピーという行為だけ見ても、その歩みがわかるのも、ビートルズが作品性と大衆性を両立させた稀有な存在であることがよくわかる。