映画・演劇その他 メディアで発表したレビュー 2003【お勧め度(満点★5)】

 
 

彼が2003年どんな映画を観たのか、そしてそれをどう評価したのかが一目瞭然。
何を観ようか迷った時の参考に。

「ラスト・サムライ」

諧謔味全開の「キル・ビル」も含め、今、我が国は熱い注目を浴びている。そのことをきちんと自覚し背筋を伸ばせば、いろんなことが日本人の中でも変わっていく気がする。日本人俳優たちの堂々とした凛々しさは、この映画を通して高貴な武士道精神が賦活されたせいではないかと思う。この映画の構造は実は「地獄の黙示録」である。異文化(東洋)と接した白人(西洋)はその懐に抱かれ価値観が転換する。最終的にはその世界の長の望みどおり彼を殺す(親殺し)…。これを指摘して論じた人、ほかに誰かご存じですか?
(初出・REAL東京)


トム・クルーズ主演の日本を舞台にしたハリウッド映画――そう聞いてイメージするのはこれまで数多く作られたエキゾチック・ジャパン映画(欧米のフィルターを通し誤解された日本)だろう。しかしあにはからんや、本作は威風堂々と侍の精神を描いた大作であった。監督もトム・クルーズも「サムライ魂の持つ、ストイックさとエレガントな美しさ」を真剣に好いていることが伝わる。日本人観客に失笑されない作品作りのために日本人役者たちがかなり直させたであろうことも想像できる。(だからこそ、台詞の検討が音主体でなく脚本の文字主体で行われたことはもったいない。具体的に言えば、トムが日本の子供たちに「ワタシノナマエハAlgrenデス」と名乗る時、観客には「オグレン」と聞こえたにもかかわらず、子供たちは「へーえ、オルグレンさんていうんだね」と返す。これでは子供たちがスペルを知っていてカタカナ読みで発音していることになってしまう。)
「キル・ビル」同様、劇中、トム・クルーズも多くの日本語を話す。今、日本はいい意味で熱い注目を浴びているのは間違いないようだ。それを自覚し、我々は自身を見つめなおすべし。その視点を持って背筋を伸ばしてみるといろんなことが自分の中でも変わっていく気がする。この映画の日本人俳優たちが(「007は二度死ぬ」や「ブラック・レイン」の時のように山師的野望をぎらつかせることなく)凛々しく振舞っているのも、そういった凛とした精神が中を通ったからに違いない。そして、それはまさに武士道と呼べる高潔な精神だろう。そういう意味では、大部屋44年の斬られ役の名人・福本清三による静かな侍の好演も見所。
最後に、この映画の構造は、実は「地獄の黙示録」である。異境(東洋)と接した白人(欧米)は、やがて東洋の持つ深みに価値観が転換する(精神的に越境してしまう)。最終的にはその長の望みどおり、彼を殺してやる。「A」「A2」「トイ・ストーリー2」「ヴァニラ・スカイ」などもすべてこの構造でつながってくるのだが、この点を指摘した評論をいまだ見かけないのはなぜか。
(未発表ロング・ヴァージョン)

「1980」

今や押しも押されぬコメディ(ナンセンス〜シリアスまで)演劇の旗手・KERA氏は、実に映画的な演劇を創ってきた人物でもある。だから映画監督デビューが決まり、氏から「まず最初は青春ものを撮ろうと思って」と聞かされた時、意外に思い、そしてなるほどと思った。彼の得意技はコメディ以外に"80年代青春もの"というジャンルもあったのだ。実に切ない青春群像映画が誕生した。そしてそんなケレン味の無さに東京っぽさや上品さも感じる。もしあなたが演劇ファンならば、犬山イヌコをはじめおなじみの役者陣総出演に感無量だろう。
(初出・REAL東京)

ディスクレビュー
「レット・イット・ビー・ネイキッド」Let it be・・・naked

単に装飾なしの「ネイキッド」(裸の状態)で発売されるだけではない。音源のセレクトからして別物だ。また各楽器のバランスが素晴らしい。本当はこんな曲だったのかという驚きの連続(それはジョージの2曲と「ワン・アフター・909」に顕著であり、特に後者は眼からウロコが数枚落ちる)。EQやエコーの繊細な処理も特筆すべきだ。骨太なのに柔らかく、ごつごつしているのに大人の風格がある。そんな名盤の誕生だ。そしてクライマックスは畳み掛けるようなラスト2曲。それは何という曲なのか。あなたの耳で確認していただきたい。
(初出・REAL東京)

長らく親しんだ「レット・イット・ビー」は、(ぶ厚い音の壁を構築させれば天下一品の) フィル・スペクターというプロデューサーが一任されてまとめたものだ。何を? ビートルズが元来のライブバンドに戻るプロジェクト「ゲット・バック」のためにレコーディング一した一発録りの素材を、である。それが4人の関係が最悪の時に行われた録音のため、当時はどうにもならないと判断され、1年以上も経ってフィル・スペクターに一任され荘厳な装飾を施され世に出たものがこれまで我々が聴いてきた「レット・イット・ビー」というわけだ。
今回「ネイキッド」(裸の)と付けられて発売されるものは、これまでのアルバムから単純に「音の壁」を取り除いたという単純なものではない。そもそも音源のセレクトからして別物である。また、各楽器のバランスが素晴らしく、本当はこんな曲だったのかと驚きの連続だ。その顕著な例は、ジョージの2曲と「ワン・アフター・909」だろう。特に「ワン・アフター・・・」は各楽器が色とりどりの毛糸のようにからまり球状になってうごめいている、こんなにも風変わりな楽曲だったのかと眼からウロコが数枚落ちた。
EQやエコーの繊細な処理も特筆すべきである。骨太なのに柔らかく、ごつごつしているのに大人の風格がある。ロックの新たな名盤の誕生である。
クライマックスはインドで書かれた宇宙的スケールの歌「アクロス・ザ・ユニバース」。スピリチュアル度合いが格段に増したエンディング。壮大なアルバムを聴いたと圧倒される間もなく、間髪を入れずにアンコールとして登場するかのような「レット・イット・ビー」。2度目のクライマックスを与えられ、畳み掛けるように終了するこのアルバムに、音楽心のある人なら誰もが酔いしれるだろう。
「14枚目のオリジナル・アルバムの発売」という、ビートルズ年表に新たに加わるこの出来事に立ち会う悦びを味わわない手はない。
(未発表ロング・バージョン)

「キル・ビルVol.1」

宣伝文句が「タランティーノの4作目」。お任せコースで味わうべき映画なのだ。「東京的オタク的在り方が今や最先端」ということをハリウッドは知っている。それは「世間がまだ価値判断の対象としていないものも自分なりの尺度できちんと評価するこだわり」であり「付和雷同する人種より圧倒的に自由に解き放たれている感性」という意味である。東京で監督は叫んだ。「この(2分長い)日本版こそが本当の『キル・ビル』だ!」。とにかく「とてつもなくヘンなものをとてつもなくデカイ舞台でやってのけたモンドなハリウッド大作」である。
(初出・REAL東京)

宣伝文句が「タランティーノの4作目」。そう、板さんのお任せコースで味わうべきものである。映画が好きなら、文化が好きなら、この出来事に何としても立ち会うべきだ。「東京的オタク的在り方こそが今や最先端」とハリウッドが完全認知したことを実感する映画だ。それは「世間がまだ価値判断の対象としていないものを自分なりの尺度で愛でるこだわり」であり、オタクが「付和雷同する人種より圧倒的に自由に解き放たれている感性を持つ存在」にまでなり得た好例である。欧米版では血が黒色になっている欧米版と違い、場面も日本版は赤色で公開、おまけに2分長いとか。だから六本木ヒルズで行われた日本プレミア試写会場でタラは叫んだ。「先に公開されてるアメリカ版やイギリス版はカスだ! この日本版こそが本当の『キル・ビル』だ!」と。ましてや日本が舞台とあれば、他国より楽しみどころ満載なのは推して知るべし。この時代に、日本人として生きている2重の悦びを最後の一滴まで賞味すべきだ。感動とか胸がすくとかいうタイプの映画ではない。とにかくとてつもなくヘンなものをとてつもなくデカイ舞台でやってのけた「モンドなハリウッド大作」という奇跡の二律背反である。そんな作品の誕生。おまけにこれ前編です(笑)。
(未発表ロング・バージョン)

演劇リコメンド
「ナイロン100℃:25th SESSION 10 years anniversary ハルディン・ホテル」

早いのか遅いのかナイロン100℃旗揚げ10周年だそうだ。その記念公演でもある今回は「開館10年後の同じ日に集う宿泊者たちが数々の事情を背負って繰り広げるシリアス・コメディー」というから何ともシャレているではないか。フルメンバーが揃うだけで妙に有難みというか格調が出るのは大倉孝二はじめメンバー達が外部での活躍もめざましいから。藤田秀世・小林高鹿の出演もうれしい。毎回まったく違う顔を持つ多面体のKERAワールド。今回は果たしてどんな世界が展開されるのか。初監督映画「1980」と合わせて要チェック。
(初出・REAL東京)

「ジョニー・イングリッシュ」 ローワン・アトキンソン主演、つまりMr.ビーンの英国諜報員ヴァージョンだ。そのユーモアの間(ま)がどこか英国の香り、オースティン・パワーズのような「ハリウッド製お間抜けスパイ映画」の能天気さとはまた別物である。それは、地味さとも紙一重だが格調とも言えよう。脚本家にボンド映画執筆経験者、アトキンソン自身もボンド映画に出演歴あり(ついでに言えば、英国の女性クラシックバンドBONDも客演)と、やはり生粋のイギリス映画である。タイトルは主人公の名ゆえ、もし日本映画なら「秘密諜報員 日本太郎」といった感じだろうか。
(初出・REAL東京)
「MUSA 武士」  
「トゥームレイダー2」  
「女神が家にやってきた」  
「リーグ・オブ・レジェンド」  
「マッチスティックマン」  
「女はみんな生きている」  
「くたばれ!ハリウッド」 プールサイドでスカウトされハリウッド映画デビューするもすぐに落ち目になり今度は「ローズマリーの赤ちゃん」「ある愛の詩」「ゴッドファーザー」とヒット連発のカリスマ・プロデューサーとして映画界に君臨。今なお現役のこの人物の栄光と挫折の半生を綴った作品。本人のナレーションとアーカイブ映像で進行する「独りビートルズ・アンソロジー」状態を、役者出身だけあって堂々と演じきっている。華やかな映画でありながら、そんな映画が出来たことそのものがモンドな1本として面白い。原題は、映画を見ればグッと来るように出来ている。
(初出・REAL東京)
「恋は邪魔者」

「舞台は現代。つまり1962年」と始まる粋さ。セリフは韻を踏み、BGMの変化と相まって、各場面はさながら一曲歌い終わって次々と転換していくかのような流麗さだ。でもミュージカルではない。じらされた観客のため2人がエンディングで初めて歌い踊る演出にはニヤリ。息を呑むポップな色調、脚本や演出の洒脱さ、大人むけの艶っぽいユーモアも含め、良すぎて何度も嗚咽させられた。ポジティヴなテーマと練りに練られた娯楽性に溢れたジェットコースター・スーパーレトロ・ラブコメディ。下半期試写のベスト1有力候補。
(初出・REAL東京)

いきなり「舞台は現代。そう、つまり1962年」という字幕で始まるこの映画の粋さは何と形容したらよいのだろう。

オープニングのタイトルアニメーションも素晴らしい。まさに渋谷系。舞台美術も素晴らしく、マンションから見える月もわざと書き割り。

リオ娘3人とヘリコプターで社の屋上に帰還し、縄ばしごから別れのキスをするプレイボーイ登場。彼は男性誌の敏腕記者キャッチャー・ブロック。3人娘とは、乱れることで評判のNASAのパーティーで知り合ったらしい。仕事をサボっていたことを咎めるボスに、彼は彼女たちによって見事NASAの機密エリアのアクセスパスを得たことを、ウインクしながら明かす。この時のセリフがかっこいい。"Blame it on the bossa nova."とウインクして言うのだ。(イーディ・ゴーメの『恋はボサノバ』の原題。更に言うなら、大滝詠一の『恋はメレンゲ』の元ネタである。)

主人公と女性編集者が、そのプレイボーイと待ち合わせのレストランに来る時のファッションのおしゃれなこと。二人の羽織っているオーバーをウェイターが脱がせると、オーバーと同じ柄の服をそのオーバーを着ていない方が着ている。はっと息を呑む洒脱さだ。

気弱な社長が日本料理店でデートの途中で意中の女性に立ち去られ、あわてて中庭に降りておいかけようとするが靴が片付けられていて見当たらない。その時に彼が発する言葉が"Where is my geisha?"(フランス料理店のギャルソンみたいに捉えられているのがまた60年代のエキゾチック・ジャパン映画っぽい。)

ミュージカルの香り満点なのに、実は本編中で1曲も歌っていない二人。観客にスカッとさせるためにエンドタイトルでついに歌い踊る。これも、二人が出した新刊の告知を兼ねて同名曲を歌う流れなのだ。これは前半で新刊「恋は邪魔者」をエド・サリバン・ショーで告知された時ジュディ・ガーランドが同名曲を歌う場面に呼応しているわけだ。

最初に彼女がNYに着いてタクシーに乗る時に、核戦争の危機を訴える反戦デモのプラカードが"Down with the bomb."。彼女の書いた本の名"Down with love"(恋なんかいらない)の伏線になっているのだ。

「僕が一番長く暮らした女性は乳母だ。でも、大丈夫、だって君と僕とは乳仲間だよね?」と、巨乳美女たちのレビューを観ながら飲んでいる言葉遊び。

そもそも、そのプレイボーイ記者の属する雑誌が「違いを知る男の雑誌・KNOW」
それに対抗して彼女が創刊したのが「今を生きる貴女の雑誌・NOW」。素敵なセンスに溢れているのだ。また、それらのタイトルを語る時に、わざわざ「それを知っている」("I know KNOW.")とか、「それにノーを突きつけよう」("Let's say no to KNOW.")とか「君も今やナウ誌を出版する立場だね」("Now, you are publishing NOW.")みたいなことばっかり言わせている。

彼女と彼がデートの晩、それぞれの住まいで身だしなみを整える場面にかぶる"Fly me to the moon"。彼女の様子が映される場面では女声ボーカル版が、彼が映される場面では男性ボーカル版が流れる。そしてあの聴きなれた歌詞に耳を傾けると「私を月まで連れてって。お願い、どうか正直でいて」。彼がNASAの宇宙飛行士であると嘘をついていることまで見事に反映した選曲なのだ。

彼の独身貴族ならではのクールな仕掛け満載の部屋に、グリニッジ・ビレッジのビートニク達が集まってパーティしている場面では、渋いビートニク系女の子がネクタイ姿で入ってきた彼に言う。「私が何に対して嘆いているか訊いてよ」「何に対して嘆いてるんだい?」「あなたのそのださいネクタイとスーツ姿よ。堕落以外の何ものでもないわ」。そんなこと言われた彼の答えがまた粋だった。「じゃ、君の手で脱がせてよ」。彼女もにっこり微笑み意気投合、二人で寝室に消えていく。さすが、羊の皮をかぶった狼(プレイボーイ)。

とにかく、悲しい話ではない。しかしオープニングから嗚咽させられる。良すぎて、だ。しかもちっとも失速せず、息を呑む素敵さはエスカレートする一方。おしゃれでポジティヴで娯楽性に溢れたジェットコースター・スーパーレトロ・ラブコメディなのだ。

(未発表・映画を観ながら思いついたトリビアを記したもの)

「幸福の鐘」

ひたすら歩く男。その途中でいろんな出来事を見、時には巻き込まれ、帰宅する。観客は「神の眼」となって彼の2日間を眺める映画だ。人生を2日間で例えるストーリーだが、同じ構造を持つニューエイジ系の本も存在するため、もし各国の映画祭がこのワンアイデアで賞賛したとしたら、ちと甘すぎる気もするが、「宇宙のアンチョコ」をチラリと見せられ、おまけに映像がどこを切っても素晴らしいのだから無理もないか。果たして最後に男が帰り着くのがどういう家か、この描写が個人的には胸を打った。寺島進ほか役者陣は皆いい味出しまくり。

(初出・REAL東京)

「ドッペルゲンガー」  
「サンダーパンツ」  
「シモーヌ」  
「S.W.A.T」  
「歌追い人」  
「座頭市」  
「息子のまなざし」  
「アダプテーション」  
「Onedotzero_nippon 2003」

TVを観ていると、たまにCMやPVで超クールな映像に出くわすことがある。そういう映像が集結した映画祭がこれだ。CM、短編フィルム、ミュージックビデオ、ゲームと様々な目的で作られた作品は、いさぎよいくらいに簡潔に終わる。どれもこれもかっこよくて気持ちよくて、いつまでもその映像の中に漂っていたい作品ばかり。世界最大のデジタルフィルムフェスであり、発足した英国では今年で7回目を迎える。ブリティッシュ・カウンシルが主催だからそのクオリティは推して知るべし。音と映像のタペストリーにあなたも是非!

(初出・REAL東京)

演劇 イッセー尾形公演 クエストホール15周年祭り

既存の演劇の方法論は自分に合わない。せめて最後に自分の方法論で思い残すことなくやってみよう。…演出家・森田雄三と、それを信じた役者・尾形一成の23年前の姿だ。(『イッセー尾形』がそんな共同ユニット名に近い概念であることを知る人は少ない。)その方法論で創作される演劇は圧倒的なクオリティを誇り、否定された形の日本演劇界はそれを黙殺。先に国際的に高く評価されてしまった(笑)。原宿クエストホール定期公演15周年記念公演は、より抜き6作品×2プログラム。12作見たい方はがんばって2回行くべし。その価値は大いにあり。

(初出・REAL東京)


既存の演劇の方法論は自分に合わないから演劇は断念しよう。だがせめて辞める前に自分がやり易いと思う独自の方法論で思い残すことなくやってみよう。…23年前の演出家・森田雄三と、それを信じた役者・尾形一成の姿だ。(「イッセー尾形」がそんな共同ユニット名に近い概念であることを知る人は少ない。)その独自の方法論で創作されていく演劇は圧倒的なクオリティを誇る。やり方を否定された形の日本演劇界はそれを黙殺したため、先に国際的に高く評価されてしまった(笑)。
初演から見続けている者にとってクエストホールで定期公演をやるようになったのは中期あたりからという印象があるが、それでも早や15周年だそうだ。今回の記念公演は15年のより抜き6作品×2パターン。全12作を見たい方はがんばって2回行こう。その価値は大いにあり。
ちなみにイッセー尾形を作り出しているその方法論は、惜しげもなく「身体文学(からだぶんがく)」なるワークショップで開陳され、ずぶの素人が小説家デビューも果たしている。努力なしで自分の持つ才能を伸び伸びと解放できるコツをつかめる「身体文学」に興味のある方はイッセー尾形公式HPを参照されたい。
(未発表ロングバージョン)

「ウェルカム・トゥ・コリンウッド」 スティーブン・ソダーバーグ監督とジョージ・クルーニーのコラボレート作「コンフェッション」(公開中)はこの映画の資金稼ぎも兼ねたそうだ。2人が新たに設立した新人作品用制作会社の第一回作品である。服役中にムショ仲間からデカイ儲け話を聞きつけた。それを実行するため身代わりを真犯人に仕立てて自分はシャバに出ようとするも、身代わり候補たちは次々とその儲け話に参加したがる始末。その顔ぶれで決行したはよいが予想外の展開に誰もが疲労困憊(笑)。ストーリーは腹八分なれど、メジャー初監督のロッソ兄弟の今後が楽しみ。
(初出・REAL東京)
「原色の海・アフリカへの想い」 ナチ党大会記録映画で有名な女流ドキュメント作家レニ・リーフェンシュタールの「48年ぶり」の新作が「原色の海」だ。今年101歳の彼女が2000回のダイブで撮影した映像は解説を入れずひたすら海の生物の美しさを見せ、サンゴ礁保護の重要性を無言で訴える。併映「アフリカへの想い」はレニが監督ではなく被写体として登場。彼女が62年に訪れ深く交流したアフリカのヌバ族との久々の再会は、彼らの俗化を思い知らされる旅でもあった。歓迎されるほどに複雑な思い。そう、2本とも「失われていくもの」が共通の主題なのだ。
(初出・REAL東京)
ブック・レビュー「パーフェクト・タイムービー・ガイド」

中国や香港映画を極めようとすれば歴史が長すぎる。インド映画は本数が多い。ではタイ映画はどうだ。この本は「今からでも間に合う、タイ映画通・速習講座」である。日本で公開済みの映画、日本の映画祭でのみ上映の映画、日本で上映決定の映画、タイで映画を観るための豆知識…。日本上映予定なしの最新作リストまであるのは、タイ映画買い付けビギナーのガイドブックにもなるためだそうだ。1960年代初頭のわが国のSFファンはまだ多くない邦訳ものをすべて読みつくし、仕方なく辞書片手に洋書まで読んだそうだ。その話を思い出す。
(初出・REAL東京)

演劇 シベリア少女鉄道:vol.8 二十四の瞳 「駄作かも…」と客に思わせ、後半のどんでん返しで「してやられた!」と痛感させる。それに命をかけている劇団だ。主宰者・土屋のキャラも含め劇団全体が"可愛い振りしてあの子わりとやるもんだね"というイメージだ。今回のチラシはタイトルぐらいしか情報が載っていないため、その後見えたかどうか劇団に訊けば、当初から固まっていたが「いつも以上に驚かせたいので敢えて書かなかった」とのこと。またも語り草になる出来に違いない。楽しみにして、わたし待つわFromあみん。じゃなかった、あーみん。じゃなかった、みーやんより。
(初出・REAL東京)
「アララトの聖母」 トルコが今なお認めないアルメニア人大虐殺がテーマの作品なのだが、構造が凝っている。そんな映画を撮影している架空の映画監督が主人公のドラマなのだ。憎々しいトルコ人総督を演じる役者、彼の同性愛の恋人、その恋人の父で関税官の初老の男性(クリストファー"『サウンド・オブ・ミュージック』"プラマー!)、彼に税関で取調べを受けている男はその映画の雑用係。…ポップな映画に似合いそうなメタな構造をこういう硬い主題の作品に援用することで深みと洗練が増し、ヒステリックな糾弾に陥ることなく格調高い作品に仕上がっている。
(初出・REAL東京)
「ジェームズ・キャメロンの タイタニックの秘密」 「映画『タイタニック』のメイキング」ではない。キャメロン監督が潜水艇で深海に潜り、静かに横たわる本物のタイタニックを3−D映像で捉えて来た記録であり、それをアイマックスの巨大スクリーンで体感する作品だ。あの客船の各部に様々なイメージを抱ける人(=映画『タイタニック』を見た人)は一層楽しめるが、観ていなくとも問題なし。栄華を誇った様子と現在の朽ちた姿を重ねる映像処理は素晴らしい。学術記録映画で終わらず、ちょっとした救出劇まで内包する点もさすが。涼しげな45分間の大人向きアトラクションとしてお薦め。
(初出・REAL東京)

「映画タイタニックのメイキング」と誤解されそうなタイトルだ。だが、劇場に足を運んだ人に後悔はないだろう。これはある特殊なヴァーチャル体験をさせてくれる映画だからだ。そう、この映画はキャメロン監督が潜水艇で深海に潜り、静かに横たわる本物のタイタニックを3−D映像で捉えて来た記録であり、それをアイマックスの巨大スクリーンで体感する作品なのだ。タイタニックの各所に様々なイメージを抱ける人(=映画『タイタニック』を見た人)ほど楽しめるが、観ていなくとも充分に楽しめる。淡々とした記録映画で終わらず、ロボット救出劇など内包するところはさすが。栄華を誇った様子と現在の朽ちた様子をだぶらせる映像処理も素晴らしい。この夏、涼しげな45分の大人向きアトラクションとしてお勧め。
(未発表 微妙にロング・ヴァージョン)

「ハルク」  
「ゲロッパ!」
TVで映画めった斬りしているだけに自作への重圧も大きいはずだが、他人の作品で積もったストレスが会心の1本を作らせたようだ。かねてより「黒人文化≒関西文化説」を主張してきた私だが、その線が見えると「関西やくざがJ・ブラウンの熱狂的なファン」という一見荒唐無稽の設定も合点がいく(洋画『アンダーカバー・ブラザー』レビューでは逆方向から例えました)。ハリウッドの香りすら漂う素晴らしきコメディ作品。「Sex Machine」の詞も「さあ仕事の準備OK。夢中で打ち込むぞ。どや、ええやろ! またこんなの撮ってええか?」と監督の雄叫びに聞こえる。
(初出・REAL東京)

TV「こちとら自腹じゃい」での映画辛口批評が大うけ、遂にCMにまでそのキャラで登場し始めた井筒監督。そんな状況を見て、本人の次作へのプレッシャーを心配したのは僕だけではないはずだ(イカ天の審査員たちが、評論家&腕利きセッションミュージシャン&別業界が主体だったのはそういうことである)。

しかし、それは杞憂に終わった。
むしろ他人の作品を見て「ここで何でこうなるねんボケ」とか「この男がわけわからんちゅうねん」とか積もっていたストレスが、彼をうずうずさせ「俺的にはこういう映画を誰か作らんかと待っとったんじゃい」的映画を創らせた気がする。関東系・文科系のプレッシャーとは対極だ。おそるべし。

「わが国はここ7,8年未曾有の規模で黒人文化が浸透拡散していること」、「地球を日本にたとえたら黒人文化は関西文化であること」、その2点を僕はことあるごとに主張してきた。J-RAPや黒人スラングが普及し始めた時期と、吉本系お笑い(=日常の中での関西弁)の全国制覇が同時期なのも偶然ではない。これが「時代の気分」ということなのだ。安室あたりから街の女の子の顔は一貫して「黒人の女の子」系(沖縄勢の芸能界進出も偶然ではない)、男の顔だってスチャダラパーあたりから前世黒人系の顔立ちが元気である(松本人志やイチローなど。彼らの黒人系サングラス姿を思い出すがよい)。

話を戻すが、その流れが見えてくれば"関西やくざ(西田敏行と岸辺一徳)がJ・ブラウンの熱狂的なファンで、ソウルフルでファンキーな歌と踊りを披露しながら、来日中のJB誘拐をたくらむ"というこの映画は実に納得のいくラインとして見えてくるのだ。西田敏行のセリフはどれも井筒監督本人のキャラとだぶり、観客が複合的な味わい方ができるようになったのは興味深い。

同時期公開の「アンダーカバー・ブラザー」で"ファンク=演歌"と述べたことを逆のベクトルで置き換えたことで――つまり、関西やくざ→べたな"演歌"の心という図式に"ファンク"を代入したことで――日本映画らしくない、何とハリウッド製コメディ映画のムードさえ漂う映画となっているのだ。

コメディだからといって、やくざの怖いオーラは時折ぎらりとしたリアリティを放ち、ぞくっとさせられる。そんな、酸いも甘いも噛み分けている感じもどっしりしていて安心できる。3分の2あたりで一瞬だけだれるが、だからといって短縮されて腹八分に仕上げられるより、観客はこの世界に思いっきり滞在させてもらいたいから、これはこれでいいのだろう。

「Sex Machine」の歌詞が「みんな、俺は自分の仕事をやる準備OK! 夢中で打ち込むぞ! 立ちあがれ! 味わえ! うまいぞ! またこんなの撮ってええか? また撮って完成させてええか?」という井筒監督からのメッセージとしてだぶる。タイトル「ゲロッパ!」の語源となっている曲だけに見事な画竜点睛だ。
(未発表 ロングバージョン)

演劇 KERA・MAP ♯2:
「青十字」

一昨年夏の「暗い冒険」に続くKERA・MAP第2弾。NODA・MAPのKERA版というシャレ半分のネーミングとは裏腹に、第1弾の素晴らしかったこと。スケールの大きな不条理コメディの出来はもちろん、KERAが小劇場界全体からセレクトした「味のある役者」・「ブレイク寸前の有望株」のショウケースとして演劇界を活性化したのだ(湯澤幸一郎・野間口徹らの認知度は確実に高まったといえよう)。今年の夏もそういう出会いの予感満載だ。今回はあさま山荘的サスペンスコメディというから、KERA作品宇宙の中では「室温」「すべての犬…」系か。
(初出・REAL東京)

「ライフ・オブ・デビッドゲイル」
  死刑が確定した大学教授から「最後の3日間毎日インタビューをし、死刑後に記事にしてほしい」と依頼された女性記者。明らかに彼が犯人と思えた殺人事件も、彼の視点で語られるにつれ別の様相を呈し始める。死刑制度廃止論者だった彼を冤罪で死刑にしようとする何者かの罠か。3日目、女性記者は彼の無実を確信するが時間は既にない。…1つの事象が見方によって全く異なる「羅生門」的「12人の怒れる男」的構造である。しかしてその実体は「12人の優しい日本人」(三谷幸喜)だった。意外な結末と、テーマの重厚さの見事な結婚。必見の一本である。
(初出・REAL東京)
「デッド・ベイビーズ」 今年上半期に観た試写のベスト1。下半期にこれを超える作品が出るかどうか。一言で言えば「オシャレでアンダーグラウンドな"心理的"密室劇」。観返すほどに味わえる緻密な脚本と構成、役者全員の絶妙な演技、全体に溢れるスタイリッシュなセンス。ここまでの感銘を受けたのは「鮫肌男と桃尻女」(監督・石井克人)を観た時以来だ。主演は「ギャングスター・ナンバー1」でも好演のポール・ベタニー。彼の出る映画はハズレ度低し。その点でも、僕の中では浅野忠信とだぶってしまう。ちなみに監督は脚本およびドラッグマスターの役まで演じてます。
(初出・REAL東京)
「ドラゴンヘッド」  
「ターミネーター3」

 

「DEAD END RUN」  
「コンフェッション」

 

「エデンより彼方に」

 

「NOVO」 5分で記憶をなくしてしまう男の物語。そういう男が主役の謎解き映画「メメント」を思い出すが、本作の主題は恋愛。男側の認識では「突然出会った女性と恋に落ちる」という出来事も、彼女の視点から見れば「今回も、自分と恋に落ちてくれた」。今月公開の映画「ソラリス」の主題(=もし人生にやり直しが可能なら?)に実は通じる作品ともいえよう。やり直していることに気づいていない主人公が何度も彼女と恋に落ちる様子は、「前世の縁」を神の視点から見た比喩にすら見えてくる。主人公周辺の人間関係が凝りすぎで、やや判りづらいのが難か。
(初出・REAL東京)
「ソラリス」 70年代のソ連映画「惑星ソラリス」に次いでの映画化。タルコフスキー監督の前作は「難解で深遠な作品」と位置づけられてきたが、実は冗長な駄作だったことまで判明。哲学的な原作をソダーバーグ監督は実にスタイリッシュな密室劇に仕立てあげた。「人生の重要なポイントをやり直せるなら、人はどうするか」、そんなことを体感させる不思議な惑星ソラリスを探査する宇宙ステーション内の物語。ジョージ・クルーニー主演のSF大作と聞いて、船内ダクトの陰からエイリアンが急に襲いかかったりする映画を想像したら肩透かしを食らいますのでご注意を。
(初出・REAL東京)
えびボクサー 2メートル10センチのえびは凄いパンチの持ち主だった。そのえびをボクサーにしてデビューさせようと、老いたトレーナーはテレビ局に売り込もうと東奔西走。毎日きちんと餌をやりスキンケアやマッサージをしてやるうちに次第に芽生えてくる愛情。そう、これは「巨大えび」という1箇所を除き、実に誠実なストーリーの映画である。なのに、確信犯的に巨大えびの造作はチープ。通常の「ほろりとさせる映画」は気恥ずかしくてという人達のためにモンドな包装紙でくるんで贈られた1本だ。原題は「甲殻類」という意味であり、実はえびでなくシャコ。
(初出・REAL東京)
「フリーダ」  
「アンダーカバー・ブラザー」 (黒人向けの)正義の組織の諜報員である主人公が白人至上主義の悪の組織と戦う、黒人版オースティン・パワーズ。舞台は現代なのに、キメ言葉やブルース・リーねた等70年代の香りぷんぷん。この暑苦しい可笑しさを日本に置き換えて伝えるなら「パンチ佐藤のような演歌好きの主人公が、金ぴか先生のような服装で、演歌の心満載のスパイとして大活躍」という感じでタイトルは「コードネーム:兄貴」(笑)? 白人美女に骨抜きにされ「Ebony & Ivory」を彼女とカラオケパブで熱唱する場面は爆笑。当時あの楽曲に当惑したブラザーたちの気分を新発見できた。
(初出・REAL東京)

(黒人向けの)正義の組織の諜報員である主人公が白人至上主義の悪の組織と戦う、黒人版オースティン・パワーズ。舞台は現代なのに、キメ言葉やブルース・リーねた等70年代の香りぷんぷん。この暑苦しい可笑しさを日本に置き換えて伝えるなら「パンチ佐藤のような演歌好きの主人公が、金ぴか先生のような服装で、演歌の心満載のスパイとして大活躍」という感じでタイトルは「コードネーム:兄貴」(笑)? 白人美女に骨抜きにされ「Ebony & Ivory」(白人と黒人の協調賛歌)を彼女とカラオケパブで歌い上げる場面は爆笑だが、あの楽曲の普及度を体感すると共に、もしかしたら生粋の黒人主義者たちは、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーが共作したあの出来事に当時どうしていいか当惑したのかもと感じたのは新発見。
(未発表ロングバージョン)

「シティ・オブ・ゴッド」  
「ファム・ファタール」  
「人生時々、晴れ」  
「キャンディ」

当時発禁になった小説を映画化した本作はまさにスウィンギング60Sの産物。キュートな女子高生キャンディが人生の意味を探求していくも、遭遇する男たちは皆彼女に言い寄りその身体を味わう。彼らを演ずるのはリチャード・バートン、マーロン・ブランドら豪華スター。リンゴ・スターにいたっては間抜けなメキシコ人庭師役でキャンディを賞味する。ビートルズが解散していない時期なのだからこの役は凄い。日本では当時短縮版で上映されたきりビデオ化もされていないため幻の作品だった。だが過剰な期待は禁物。むしろ苦笑しつつ味わうべし。

(初出・REAL東京)

「地獄甲子園」

漫★画太郎の同名漫画を読んだことがあれば、その実写化と聞いて驚くはず。凶悪な顔の番長が改心し、柔和な顔で再登場するというくだりは、小西博之→X-GUN西尾季隆のダブルキャストという画期的な方法でクリアしていたが、外道高校野球部監督(原作ではおそらくターザン山本をモデルにしていた)を、若い役者に特殊メイクを施し演じさせた解釈には疑問が残る。主役を演じる坂口拓はナルシズム満載のアクション映画志向の人ゆえ、本作のように暑苦しくパロディ化された主役像こそむしろ適任。驚きの声「はうあっ」も原作どおりちゃんと聴けます。

(初出・REAL東京)

「福耳」

死んだ老人(田中邦衛)の霊が、老人ホームに勤め始めたフリーター(宮藤官九郎)に憑依して巻き起こす珍騒動。老人たちの役で谷啓と坂上二郎の姿も。しかし谷啓の前で坂上二郎が「およびでない?」や「ガチョーン」を言う日が来るとは誰が想像しただろう。宝田明はそのバタ臭い演技法を今回オカマの演技にも援用している。難は、行儀よく作られすぎている点。クドカンは単純に役者としての出演なのだから当然なのだが、彼の名にある種の期待をしてしまうだけに落胆はことのほか大きい。たけし主演映画「悲しい気分でジョーク」を思い出す。

(初出・REAL東京)

「すてごろ」  
「蛇イチゴ」 気まずい状況というのは多々あるが、それをフィクションで再現するのは難しい。そんな「一瞬の心の動き」を公の場(作品)で提示した例がイッセー尾形であり、それゆえ彼は国際的な評価を得ている。この映画はそんな瞬間を淡々と集積している。ある日本の家族を描いたストーリーは美味の米をじっくり噛むかのようだ。一方、演技や脚本のリアリティには観客は脂身を口に入れられたような感覚を覚える。根底に流れる主題は「普遍的なものなど何もない」というものだ。心、静けさ、価値観。監督&脚本は28歳の女性。これがデビュー作とは要注意人物だ。
(初出・REAL東京)
「二重スパイ」
 
「牛頭」

三池崇史最新作は「デビッド・リンチがVシネやくざ物を撮ったら」がコンセプト。哀川翔、石橋蓮司、火野正平ら演じるやくざがリンチ的空気(ダウナーなヘンさ)の充満する世界に息づく。中でも悪夢的な場面に間寛平&木村進がいい味で登場。『鮫肌男と桃尻女』の我修院達也、島田洋八の例を出すまでもなく、お笑い芸人の素のキャラは実は怖い世界にしっくりくる。前半の空気が後半やや失速するのが惜しまれるが、そんなことより怪作の誕生を拍手をもって迎えるべきだろう。カンヌでも大好評、仏英独から配給オファーありとの朗報も。
(初出・REAL東京「DISC」欄)


三池崇史最新作は「D・リンチがVシネヤクザものを撮ったら」がコンセプト。だから映倫まで通していながら、国内ではビデオ&DVDでのみ公開だそうだ。前半のリンチ的空気(ダウナーなヘンさ)のテンコ盛り状態が、後半でやや失速するのが惜しまれる。が、そんなことは関係なく、哀川翔・石橋蓮司・火野正平らがまじめな顔してそんな世界に息づいている怪作の誕生を拍手を持って迎えるべきだろう。すべてが悪夢的であり、そんな世界に間寛平・木村進のコンビの狂気がしっくり調和しているのも象徴的である。「鮫肌男と桃尻女」の我修院達也、洋八や、「けものがれ、俺らと猿に」の鳥肌実の例を出すまでもなく、お笑い芸人の素のキャラは実は怖い世界にしっくりくることが多い。
(未発表 微妙にロング・ヴァージョン)

「パイラン」
 
「デブラ・ウィンガーを探して」

妻や母親であることと仕事をどう両立させているかを、ハリウッドの女優たちに次々インタビューしたドキュメントである。どの女優も一人の女性に戻りざっくばらんに語る。その理由は、監督が女優のロザンナ・アークエット(『グラン・ブルー』)だからだろう。この映画を試写室で見るタイプの女性たちは誰もがメディアで仕事をしている身。画面で女優たちが語る「疲れて帰宅した後、今度は夫や子の世話をする苦労」に共感する嘆息がそこかしこから聞こえる。男性客はといえば、そんな女性たちに対する「罪悪感」&「甘え願望」の板ばさみに嘆息。

(初出・REAL東京)

「ギャングスター・ナンバー1」 1960年代後半、イギリスのギャング界をのし上がっていく男の物語。若き日をポール・ベタニー、晩年を久々のマルコム・マクダウェルが演じる。仁義も情けも振り捨て、組のトップに立つその様はまさに白人版ヤクザ映画。しかし物語の根底をなすのは、実は「ボスへの憧憬」だ。彼を蹴落とし自らがボスとなっても、いつまでも追いつけない敗北感。殺伐とした場面も満載ながら全体に品があるところは、やはりイギリス映画だ。これがハリウッド大作であれば、さしずめコミケあたりでヤオイ本の花が咲きまくったかもしれない硬派の片思いストーリー。
(初出・REAL東京)
「ブルー・クラッシュ」  
「ムーンライト・マイル」  
「めぐりあう時間たち」  
「ホーリー・スモーク」  
「ザ・コア」  
「アバウト・シュミット」  

「僕の好きな先生」

 
「ハンテッド」

 

「散歩する惑星」 ダウンタウンの作家が感銘を受けたとコメントを寄せていた。確かに「松本人志 ヴィジュアルバム」や「頭頭」の路線の完成形は、きっとこうなのかもしれない。アレを、大量の俳優を使い大規模でやっている映画だ。たけしの「みんな〜やってるか!」を淀川長治氏が「ウディ・アレンとか、みんなたまに作ってるのは、こういう映画なんですよ、アレ」と解説するのを聞き、すっと理解できたことを思い出す。ならばこの映画は松本人志やデビッド・リンチや別役実である。たまの石川浩司、蛭子能収の描く「滑稽な悪夢」とも言える。沈んだ色調もいい。
(初出・REAL東京)
「あずみ」  
「ネメシス S.T.X」  
「北京バイオリン」  
「8mile」




 
「11'19"01 セプテンバー11」 "あの日をテーマに各国11人の監督が撮った短編オムニバス映画"。時間制限はすべて11分9秒1フレーム。「各監督の捉え方」、「その地域での捉え方」が複雑に絡み合う。あの事件が如何にむごい出来事だったかを描く作品のオンパレードでなく、「同じことは各地で起こっているが世界がNYほどには注目していないだけ」という主張や、「アメリカは自由を脅かす国でもある」という告発など、様々な視点を包含していることがこの映画の最大のポイントだ(中には薄っぺらな作品もあり)。今村昌平のはまるで花輪和一の漫画のような土着的奇譚で、やや反則技(笑)。
(初出・REAL東京)
「CUBE2」 何のために建造されたかもわからぬ謎の立体迷路に閉じ込められた男女数名。天地左右に隣接して続く立方体の空間には、様々なトラップが。ここまでは前作と同じだ。前作は、それはもしかしたら何かの比喩ではと思わせて終わったが、今回はSF色が濃くなった。つまり売り文句が「ついにその存在の秘密が明かされる」。話に引き込む語り口は継承されているが、何も明かされはしないし前作の深みは減じられた気もする。「レッド・ドラゴン」の時にも思ったが、いっそ「ゴジラ」映画のようにいろんな監督にいろんな世界観を呈示させていくシリーズ化を希望したい。出来、不出来あっても可なので。
(初出・REAL東京)
「ホテル・ハイビスカス」

沖縄の小学3年生・美恵子の日常を描く漫画が原作だそうだ。小3の女の子の漫画といえば「ちびまる子ちゃん」を想起させられるが、どっこいこちらは沖縄が舞台。一味もふた味も違う日常が広がっていた。「米軍基地」なんて近所の発電所ぐらいの感覚だし、精霊(キジムナー)は普通に存在するし、ましてお盆なんか来た日にゃあ、美恵子と一緒に遊ぶ少女は「幼くして死んだ叔母」だわ、美恵子は美恵子でお小遣いならぬ「魂(マブイ)」を落として一家大騒ぎ。バリ島・水木しげる妖怪譚など、彼岸と現実が共存するスポットが南方に多いのはなぜなのだろうか。
(初出・REAL東京)

沖縄の小学3年生・美恵子の日常を描く漫画が原作だそうだ。小3の女の子が主人公の漫画といえば「ちびまる子ちゃん」を想起させられるが、どっこいこちらは沖縄が舞台だけあって、一味もふた味も違う日常が広がっている。「米軍基地」なんて、近所の発電所ぐらいの感覚だ。精霊(キジムナー)は生活の中に普通に存在するし、ましてお盆が来た日にゃあ美恵子と一緒に遊ぶ見知らぬ少女は実は幼くして死んだ叔母だし、美恵子はお小遣いならぬ「魂(マブイ)」を落とすしで、大騒ぎ。バリ島や水木しげるなどのキーワードに象徴されるように、南方というのは何か彼岸との境界が実に大らかに口を開いていることを実感させられる。
(未発表ロングバージョン)

演劇リコメンド
「シベリア少女鉄道 笑ってもいい、と思う・再演」
  前回公演でも、相変わらず"前半わけわからず、後半で前半の解題にアッと驚き爆笑のうちに大団円"という凝った構成は健在だった。毎回これだけの趣向を脚本に練り込んでバリエーションは尽きないものだろうかと思いきや、今回は第一回公演の再演とか。もっとも、物語も登場人物も一新するというのだから、既に「再演」という言葉の定義さえ揺さぶっている(笑)。しかしはたと気づいた。その試みは「初演より実力アップした自分たちによるアップグレイド版を世に呈示したい」という想い、つまり、仕掛け自体は風化せぬという絶対の自信の表れではなかろうか。
(初出・REAL東京)
「許されざる者」 ヤクザ映画ラッシュの中、真打ちは最後に登場か。三池崇史の最新ヤクザ映画は、脚本・武知鎮徳、主演・加藤雅也と、あの名作「荒ぶる魂たち」と同じ布陣。だが権謀術数の絡み方は『荒ぶる…』よりややシンプル。決して悪い出来ではないのだが、ラストはいささかきれいに着地しすぎ。豪快にぐちゃぐちゃに終わるのが三池作品には似合う気がする。役者では藤竜也がいい。『アカルイミライ』&本作により、若い世代を中心に再注目されていく予感がする。蛇足ながら相田翔子は、微妙に下世話&薄幸そうな点で、実に極道ものに適した女優だとも実感。
(初出・REAL東京)
「ロスト・イン・ラマンチャ」

本作は「テリー・ギリアム最新作の」メイキングとなるはずだった。その映画が挫折したため、「ある映画が中止になるまでの様子」を記録したドキュメント映画として公開される。新アルバムのメイキング映画のはずが結果的に「バンドが崩壊していく様子」を捉えたドキュメント映画となった「LET IT BE」を想起させるのも、パイソンズらしいといえばらしい。とはいえ、今回の頓挫の原因は予測可能なことだらけで、同情するより危機管理の甘さに驚く(他人の不運を観て爆笑できる人がいるのも不思議だ)。彼の作品が持つ悪夢的要素が現実に流入したような1本。
(初出・REAL東京)

本作はテリー・ギリアムの最新作「ドンキ・ホーテ」のメイキング・フィルム…となるはずだった。だがその映画が挫折したため、このフィルムは今「あるプロジェクトが崩壊していく様子」を記録したドキュメント映画として公開される。このあたり、ビートルズがニューアルバムのメイキング映画を撮ろうとし、結果的に「一つのバンドが崩壊していく様子」を記録したドキュメント映画として公開された「LET IT BE」を連想させ、期待して臨んだ。ところが起こるのは予測可能なアクシデントばかり。可哀想と同情するには危機管理の甘さが目立つのだ(それでも、他人の不幸というだけで爆笑できる人が多いのは不思議だ)。
テリー・ギリアムの作品は、映画監督として有名になってからの作品にもどこか根底にモンティ・パイソンのあの悪夢的なアニメのテイストが流れている気がするが、常にその悪夢は境界を越えて彼の人生に流出する隙をうかがっているように思える。
(未発表ロングバージョン)

「blue」 女子高生活の日常がまさに透き通るようなタッチで映像化されている。主人公は合コンで出会った男子とホテルで初体験をしてみるも、相変わらず変わり映えしない日常があるだけだと気づく。そして、そんな言葉にならない心情すら共感しあえる親友の雅美のことを"誰よりも好きだ"と気づく。二人が少しだけ唇を合わせるシーンのその切なさ(二人は決してレズビアンではない)。こんな微妙な心情を描く映画なのだ。ちなみに原作は漫画。これが他国だと原作は小説界にしかあり得ないだろう。日本漫画界の層の厚さは世界映画界の垂涎の的と見た。
「ピノッキオ」  
「レセ・パセ 自由への通行証」  
「ダークネス」  
「ノー・グッド・シングス」
 
「シカゴ」  
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」  
「トーク・トゥ・ハー」  
「007 ダイ・アナザー・デイ」  
「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」

このシリーズは2点から味わうべし。まず、オモテ街道をオタクが侵食統治しはじめている、この状況。マニアックな支持層を持つオタク監督達が、近年続々とハリウッド超大作を任されている。『猿の惑星』のティム・バートン、『スパイダーマン』のサム ・ライミ、そして本作のピーター・ジャクソン…。日本でも庵野秀明が『エヴァンゲリオン』で巨額の富を発生させ、大人社会にオタク市場を認知させた。2点目は、剣と魔法のファンタジーの原典『スター・ウォーズ』『ドラクエ』の更なる原典を正統に実写化した力技。オタクのこだわりをハリウッド・メジャーの資金がバックアップすれば、これはもう無敵だ。
(初出・REAL東京)

総製作費340億円で、三部作を同時に撮影したうちの第二話である。1作目も大ヒットし、大博打は成功したようで一安心。素晴らしいシリーズが世に誕生した。
このシリーズの味わいどころは2つ。
まず、オタクの代表として日陰で支持を得ていた監督達が今やハリウッド超大作を撮る時代となったことの素晴らしさである。『猿の惑星』のティム・バートン、『スパイダー・マン』のサム・ライミ、そして本作のピーター・ジャクソン…日本では庵野秀行が『エヴァンゲリオン』で各産業に巨額の富を発生させ、大人社会(="ムケ社会"c渡辺和博氏)はオタク文化の存在を遅ればせながら認知させられたようだが…今やオタク文化は世界中で"お茶の間""陽の当たる表街道"を堂々と統治しているのだ。
2つ目の味わいどころは、あの原作をここまで正統に実写化したその力量の凄さだ。
ゲームやコミックで山ほど存在する"剣と魔法のファンタジー"を誕生させたルーツは、『スター・ウォーズ』『ドラクエ』の二大クラシックだが、『指輪物語』は、それらの更なるルーツなのだから。描かれていた壮大な景観を(世界中の読者が各々抱いているイメージよりしょぼいスケールにならないように)壮大に作るのは至難の業である。映画界のクラシックとなることが決定している作品の誕生に立ち会う経験はそう出来るものではない。
3時間という上映時間の長さはマラソンのようだが、同時代を生きた者として立ち会わぬ手はない出来栄えの大河時代劇映画である。
(未発表ロングバージョン)

「首領への道」

やくざ映画を3本続けて観たが、本作が出色の出来(あと2本は、久々の社内若手監督による『新・仁義なき戦い』と松方弘樹の初監督作『OKITEやくざの詩』。『新…』は名門ブランドの割に薄っぺら。『OKITE…』の方は荒唐無稽のアクションヒーロー物だった)。やくざのヒロイズムと汚さの微妙な配分・儀式シーンの格調に加え、清水健太郎の風格、小林旭・火野正平の存在感、そして白竜の北野映画的虚無感。試写室で目のあたりにした「梶原一騎的威圧感を漂わせる原作者(兼・製作総指揮)と大部屋役者達の体育会的極道的主従関係」もなかなかでした。
(初出・REAL東京)

東映のヤクザ映画の新作が立て続けに3本作られた。本作に加え、久々の社内若手監督による「新・仁義なき戦い」、松方弘樹監督第一作「OKITEやくざの詩」。「新・仁義なき…」は、経済ヤクザというものが今ふうで興味深いが三池崇史の「荒ぶる魂たち」に比べ、その構図がやや薄っぺら。「OKITE…」に至っては加藤雅也がアクションヒーローのように敵討ちする荒唐無稽のストーリーだった。極道劇画シリーズの原作者が製作した本作は、ヤクザの汚さと劇画的ヒロイズムのバランス、儀式などの格調など、最もよく出来ていた。主役の清水健太郎は、顔の横幅や肩幅など、完全に21世紀の松方弘樹となっているし、小林旭・火野正平の存在感はぞくぞくする。白竜は、寺島進や大杉漣のように、北野映画の香りを漂わせてくれる存在となっていて、北野映画の凄さをも味わえる仕組みとなっている。(未発表ロングバージョン)

「レッド・ドラゴン」 本作は三部作のエピソード1ゆえ「レクター逮捕の経緯が明らかに!」的売り文句だが、それ自体は前半早々に描かれ、メインは別人物による猟奇連続殺人事件。レクターは獄中でプロファイルの助言をしつつ、FBI捜査官自身の心理をも揺さぶっていく。そう、「羊…」と酷似した設定だ。威風堂々たる大人の娯楽作品「ハンニバル」の重厚さが3割減となり、「羊…」的サイコ・スリラーに回帰した点をも含め。だがそれでもいいのだ。ゴジラ映画同様、各監督の自由な解釈による様々なレクター映画が作られていけば嬉しいとすら思う。製作者・原作者の意向は如何に。
(初出・REAL東京)
「テープ」

「ウェイキング・ライフ」の監督と聞き、「テープの内容が現実を勝手に書き換え、真実と虚構の境界がなくなっていく世界」を勝手に期待してしまったが、テープは小道具に過ぎず、実直なまでの「男2人と女1人の密室劇」だった。舞台の映画化だけあり、息が詰まりそうな会話はよく出来ている。が、心理が変容していく凄さならイッセー尾形の「駐車場」の方が優れているし、密室劇のダイナミックさなら三谷幸喜の「出口なし!」「12人の優しい日本人」の方が面白い。東京という街に住む我々は、今や相当すれた観客となっていることを自覚させられる1本。
(初出・REAL東京)

登場人物は男2人と女1人。安モーテルの一部屋の中だけで進行していく物語。センス抜群のニューエイジ映画「ウェイキング・ライフ」のリチャード・リンクレイター監督の作品と聞いて、「テープに記録されている内容が現実を書き換え、真実と虚構の境界がなくなるぶっとび映画」という、いわば「メメント」+「惑星ソラリス」映画を勝手に期待してしまった。が、意外なほど実直な密室劇。同名舞台の映画化で、脚本を手がけたのも戯曲を書いた作者本人。息苦しいまでの心理劇は確かによくできてはいる。が、人間の心理が変容していく凄さならイッセー尾形の一人芝居「駐車場」「一人酒」の方が優れているし、密室劇の面白さなら三谷幸喜の「出口なし!」「12人の優しい日本人」がダイナミックだ。こう考えると、われわれ日本人は、もはや相当すれた観客となっている。そんなことを自覚させられる1本。
(未発表ロング・ヴァージョン)

「カンパニー・マン」 『CUBE』の監督の2作目。相変わらず、ヘンな映画が好きな者にはたまらぬ1作である。産業スパイに志願し、妻より会社を第一義に考え行動する人生を選ぶ主人公は、タイトル通り「会社員」のメタファーとなっていく。しかしこの映画はそれだけでは終わらない。『トータル・リコール』や『12モンキーズ』のように、主体そのものがどこまでが現実なのかぐらつき始める。そして意外な結末が…。ネタばれにならぬ確信の元に書くが、意外にもこの映画のジャンルは『ルパン三世』的(いや、別に『怪盗ルパン』でもいいのだが)ピカレスク物だった。
(初出・REAL東京)
演劇リコメンド
「シベリア少女鉄道 シベリア新喜劇・遥か遠く同じ空の下で君に贈る声援」
  TV『スパイ大作戦』のような劇団だ。とはいっても、スパイ物という意味ではない。2つの共通点は、「何をやっているのかわからぬまま我慢して観ていると、終盤で一気に各人の行動の意味が明かされる快感」である。このシベ少に関しては、仕掛けも種明かしのやり方も、まさに演劇という形態でのみ味わえる方法を使うから、たちが悪い。つまり、観に行くしかないのだ。前回公演も、関東地方を襲った戦後最大の台風をおして王子駅前まで観に行ったことを悔いぬ出来だった。役者の巧拙など超越した"ルービック・キューブ演劇"、お試しあれ。
(初出・REAL東京)
「ゴーストシップ」 豪華客船の船旅と、そこで繰り広げられる優雅なパーティー。そんな場面から始まるこの映画は、今作られたとは思えぬほどノスタルジックな色調と音楽にまず魅了される。音楽に乗って画面にかぶさるタイトルロゴはなんともエレガントな書体。それが「幽霊船」の意だとぼんやり把握し始めるあたりで、事態は急転。予告でさんざん流れているあの場面へと続く(予告を見ていない人は幸運だ)。そして、ここからが物語の始まりである。もしあなたが『13ゴースト』と共通点を感じたとしたら、その理由は同じプロデューサー、同じ監督だから(笑)。
(初出・REAL東京)
「トランスポーター」

古くは『電撃フリントGO!GO作戦』(アクション指導byブルース・リー!)から、最近では『トリプルX』や本作まで、007映画の系譜というものがある。『トリプルX』がタトゥー&マッチョのストリート系ボンドなら、本作はスマートで粋。アメリカではなくヨーロッパの香り…ここまでは本家に近い。ショーン・コネリーの確立したボンド像が"胸毛とエレガントさの共存"だとすれば、こちらはクールで寡黙、むしろボンドの敵役が似合う。殺陣はプレステ的つまり「デフォルメされたB・リー」的だ。リーが蒔いた種は様々な形で現代に芽吹いている。
(初出・REAL東京)

007映画の系譜というものがある。古くは「電撃フリントGO!GO!作戦」(ジェームズ・コバーン主演。アクション指導はブルース・リー!)。そして最近では「トリプルX」そして本作と続く。「トリプルX」がタトゥー&マチョなストリート系のボンドなら、本作のボンドはスマートで粋だ。ハリウッドではなくヨーロッパの香り、ここまでは本家ボンドもそうだ。しかし殺陣のテイストがブルース・リー的(同じリュック・ベッソン製作総指揮の「キス・オヴ・ザ・ドラゴン」もそうだった)であり、そこが実に今ふうなのである。ボンド(初代=S・コネリー)は胸毛とスタイリッシュさの共存が本家ボンドだとしたら、こちらはスマートでスタイリッシュ。そのクールで寡黙なキャラは、むしろボンドの手強い敵として登場させたくなる魅力がある。今後もシリーズ化される可能性もあるが小品っぽさは否めないのも事実(苦笑)。
(未発表ロングバージョン)

演劇リコメンド
「演劇弁当猫ニャー公演
応急エステティック」
  正式名は演劇弁当猫ニャー。弁当屋が演劇をするユニットという意味だ(しかも嘘)。ペンネームすら山田太郎に変えてしまった70年代初頭の赤塚不二夫のような劇団だ。第一幕が下り、どたばた場面転換する音の後、第二幕が上がると全く同じ配置だったり、システムそのものを壊す試み(赤塚では、ある回は劇画風バカボン、ある回はすべて左手で描くなど)もいろいろやってきた。ブルースカイの深い不条理世界の呼吸を知り尽くした役者陣に加え、今回はいとうせいこう他豪華日替わりゲスト。結末も毎日違うというから、どの日に行くか、大いに迷うべし。
(初出・REAL東京)

「壬生義士伝」

「たそがれ清兵衛」に続き、またも時代劇映画の力作が誕生した。そのこころは、娯楽としての"チャンバラの復権"ではない。むしろその対極の在り方である。つまり、現代サラリーマンが自らの姿とだぶらせて、元気付けられたり、自分の生き方を考えさせられたりする、そんな映画なのだ。日本がここまで精神的・経済的に荒廃してしまった今、それを描くには、時代劇の形でもとらなければ生々しすぎるのだ。中井貴一演ずる主人公の"飄々とした芯の強さ"は、まるで手塚治虫が晩年あたりに描いた時代劇作品の実写化のような雰囲気すら漂うのも面白い。
(初出・REAL東京)
「ボウリング・フォー・コロンバイン」

米コロンバイン高校でトレンチコートマフィアと呼ばれる男子生徒の銃乱射事件は記憶に新しい。犯人2人が愛聴していたマリリン・マンソンのライヴは中止された。ならば、2人がボウリング部員であった事実、犯行直前もボウリングをしたという事実はどうなる。この映画のタイトルはそういう意味である。ついに6歳の子が学校で友人を射つ事件まで起こった米国の病状を、監督M・ムーアはアポなし突撃ドキュメントという手法で世に問う。「ベン・ハー」「猿の惑星」などのC・ヘストン主演作をこれまでのような観方で観られなくなるというおまけ付。
(初出・REAL東京)

米コロンバイン高校でトレンチコートマフィアと呼ばれる男子生徒2人が銃を乱射した事件を覚えている人は多いだろう。犯人2人が愛聴していたとされるマリリン・マンソンのライヴは中止された。しかし、とこの映画は言う。果たしてそんなことでこの問題は片付いたのか。ならば、2人がボウリング部員であった事実、そして犯行直前にボウリングをしていたという事実はどうなる。ボウリングは禁止にしないのか。この映画のタイトルはそういう意味である。ついには6歳の子が学校でクラスメイトを射殺する事件まで起こった、病める米国。監督M・ムーアはアポなし突撃ドキュメントというスタンスで世に問う。この映画を見てしまうと、チャールトン・ヘストンに描いたイメージは崩壊し、「ベン・ハー」「猿の惑星」といった彼の主演作はもうこれまでのようには観られなくなってしまうというおまけ付。
(未発表ロングヴァージョン)

「刑務所の中」
監督:崔洋一
主演:山崎努
趣味の拳銃収集で逮捕された漫画家・花輪和一。その3年の懲役体験を描いた同名漫画の映画化だ。脇役のいい味ぶりはキャスティングから容易に想像できたが、山崎努の起用も大成功。あの無骨な男優が演じることで、花輪の"外見はおじさん・中身は純粋"ぶりが、商業的に程よく洗練&デフォルメされる形となった。おそらく山崎努には縁がなかった類のモノローグ(例えば、ほふく前進しながらの『いい! ベトナムみたいで、すっごくいい!』etc.)が全編に溢れて奇妙に可笑しい。蛇足ながら助言を1つ。決して空腹で観ることなかれ(笑)。
(初出・REAL東京)

趣味の拳銃不法所持で逮捕・懲役となった漫画家・花輪和一。彼の3年の懲役体験を描いた同名漫画の映画化である。脇役がかなりいい味を出す映画になるであろうことはキャスティング(田口トモロヲ・村松利史・香川照之ら)から容易に想像できたが、主演である花輪役に山崎努というキャスティングには、観るまで懐疑的だった。しかし、これが大正解。
原作から伝わる花輪本人のキャラ、つまり"外見はおじさんだが、中身は子供のように純朴"という落差は、あの無骨な俳優・山崎努が演じてこそ浮き彫りになるものだったのだ。例を挙げれば、マニア同士の戦争ごっこシーン(原作にはない、嬉しい余禄だ)で、真剣にほふく前進しながら、山崎はこうモノローグで叫ぶのだ。「いい! ベトナムみたいですっごくいい!」。おそらく山崎の役者人生で縁がなかったタイプの台詞を口にする時の奇妙な可笑しさが全編を貫く。
難点は、長所とほぼ重なるからやっかいだ。というのは、何を糾弾するわけでもない淡々とした刑務所の中の描写だけなのだ。とはいえ、変に暑苦しい"告発""反権力"といった要素がないからこそ、原作は透明感溢れる卓抜さだったのだから、難しいものである。
蛇足ながらアドバイスを1つ。この映画を、決して空腹で観ることなかれ(笑)。
(未発表ロングバージョン)