映画・演劇その他 メディアで発表したレビュー 2002【お勧め度(満点★5)】

 
 

彼が2002年どんな映画を観たのか、そしてそれをどう評価したのかが一目瞭然。
何を観ようか迷った時の参考に。

演劇リコメンド
「ナイロン100℃ 24th SESSION 東京のSF」
何を観ずとも必見の演劇ユニットの1つ。こう断言できるものは滅多にない。作・演出を手がけるケラリーノ・サンドロヴィッチは様々な引出しを持つ戯曲家だが、今度の新作は最も得意なジャンル"コメディ"である(我が国の不条理コメディの大御所・別役実との交流はジョージ・ハリスンに対するジェフ・リンの偉業にも例えられよう)。しかも「あっと驚く大仕掛け満載のSFコメディ」だとか。4人の女優のみの密室劇といった作品なども魅力的だが、手練れ揃いの役者たち総出演の「久々のバカ騒ぎ超大作」と銘打たれた日にゃ、もう期待度300%。
(初出・REAL東京)

今、日本の演劇界で必ず観ておくべき演劇ユニット。こう断言できるものは滅多にあるものではない。作・演出を手がけるケラリーノ・サンドロヴィッチの作品世界は、豊潤な多面体であり、これまでにも様々なテイストの作品を呈示してきた。そして、その中でも、彼が最も得意とするジャンルが「コメディ」である。日本の不条理コメディの大御所・別役実の戯曲を自己流でカヴァー(演出)したところ、本人からその理解度を絶賛され、近年では本人と共同での新作上演も行なうようになったその在り方は、ジョージ・ハリスンに対するジェフ・リンのような偉業をなした演劇人とも言えよう。固定の「劇団」という在り方では、常に抱えている役者たちに役を与えねばならない。そこで、劇団健康を解散し「演劇ユニット ナイロン100℃」へと移行し、女だけ男だけといった設定の作品なども発表してきた。しかし、今回のようなおなじみのオールスター揃い踏みという新作は、いつにも増してわくわくさせられる。
「大仕掛け満載のSFコメディ」「久々のバカ騒ぎ超大作」というのだから、観ない手はない。(未発表ロングバージョン)

「ウェルカム・ヘヴン」
監督:Agustin Diaz Yanes
主演:Victoria Abril  Penelope Cruz
変わった構成の映画である。舞台は3ヶ所。すなわち「天国」「地獄」「現世」(ちなみに、公用語は、それぞれフランス語・英語・スペイン語!)。最近、地獄の人口ばかりが増え、天国は閑散として店じまい寸前。両陣営は、現世にいる1人のボクサーをどっちに導くかで勝負をかける。善行を積ませんとする天国からの使者と、悪行を助ける地獄からの使者…というお話。地獄側にペネロペ・クルス、天国側をビクトリア・アブリル、普段と逆の役どころを与えたのが面白い。両陣営の上司もいい味出している。最後の落ちもなかなか洒落ている。見終わって、よく考えると疑問が山ほど出てくる点が難といえば難か。
(初出・REAL東京)
「キス・キス・バン・バン」
監督:Stewart Sugg
主演:Stellan Skarsgard

引退した殺し屋が、ある御曹司の子守りとなる。その御曹司たるや33歳。子ども部屋の中から一歩も出ずに育てられていた。初めて外に連れ回された彼は次第に人生の素晴らしさを知り、殺し屋自身の内面も変化していく。一方で、"足を洗うことは許さん"とあの手この手で命を狙う、殺し屋時代の同僚達。やや詰め込みすぎだが、漫画チックな荒唐無稽さとレトロ・テイストが面白い。音楽も、女声スキャットほか70年代テイスト。ジャンルこそ違えど、同じくレトロ・テイストもの「CQ」と見比べるのも一興(ちなみに『CQ』のカッコよさは必見)。
(初出・REAL東京)

殺し屋が引退を決意した。とはいえ、自分の生活のため、そして父親の老人ホーム代捻出のため、ある御曹司のベビーシッターとなる。その御曹司たるや33歳。子ども部屋の中から一歩も出さずに育てられていた。それでも、無理矢理外に連れ回されることになって次第に人生の素晴らしさを知り、殺し屋の内面も変化させていく。
この映画は、もう1つの軸がある。主人公の殺し屋時代の同僚達が、彼を殺そうとあの手この手を尽くすのだ。そう、足を洗うことは許されない闇の世界。
ストーリーは、やや詰め込みすぎの観もあるが、漫画チックな荒唐無稽さに溢れている。しかも、どこかレトロ調。それが証拠に、音楽は女声スキャットほか渋谷系70年代テイスト。同時期に公開中の映画「CQ」も似たテイストを売りにしているので、比較して味わうのも一興(ちなみに本作は『CQ』より朴訥です)。
(未発表ロング・バージョン)

「CQ」
監督:Roman Coppola
主演:Jeremy Davies
 
「火山高」
監督:キム・テギュン
主演:チャン・ヒョク
 
「ウィンドトーカーズ」
監督:John Woo
主演:Nicolas Cage
 
「ウェイキング・ライフ」
監督:リチャード・リンクレイター
夢の中でこれが夢かどうか確かめる方法はあるのか。この映画はそういう作品だ。浮遊感にあふれる"内容"と"映像"。出会う人全員が深遠な哲学を次々語っていく面白さ。実写映像の上に色を塗る手法は、まんまビートルズのアニメ「イエロー・サブマリン」の"Lucy in the sky with diamonds"。ファースト・サマー・オヴ・ラヴから脈々と続く"サイケデリック文化"は、いつしか"ニュー・エイジ文化"と呼ばれ、"洗練"という要素すら加味して日常に当たり前に溶け込んでいる。さながら、この映画の冒頭から流れている趣味の良い室内楽やジャズのように。
(初出:REAL東京)

最初から最後まで浮遊感にあふれる「内容」と「映像」。
「内容」は、現実か夢の中かわからなくなってしまう主人公。どこへ行っても、多種多様な人物がひたすら深遠な話をモノローグで彼に語る。「現実と夢の違い」「存在とは」「人生とは」…。
見方を変えれば、哲学的で興味深いモノローグ短編のオムニバス的ともいえる構成だ。
ニュー・エイジ映画の名作として、以前たっぷり論じた「スキゾポリス」の監督S・ソダーバーグがこの映画で哲学の語り部の一人として登場しているのも偶然ではない。
「映像」は、"現実感溢れる動き方のアニメ"であり、それがまた「現実と非現実のあいまいな境界」を象徴しているかのようだ。実写映像にアート感満載の彩色を施しているその手法は、どうしても「イエロー・サブマリン」の"Lucy in the sky with diamonds"を思い出してしまう。「イエロー・サブマリン」とは"サイケ時代のファンタジア"としてフラワー・チルドレンたちを熱狂させた名作アニメ映画だ。
そういう意味では、内容・手法ともに、"精神世界とポップ・カルチャーの融合"と言う意味で、まさに正統な末裔ぶりである。ファースト・サマー・オヴ・ラヴから脈々と流れる"サイケデリック"は"ニュー・エイジ"と変質し、"洗練"という要素すら加味し、日常の中に当たり前に浸透しているのが21世紀の今だ。さながら、この映画の冒頭から流れている趣味の良い室内楽やジャズのように。
観ている間中、この映画全体から「リアルとは何か?」という命題を浴びせられ続ける。「この映画を観ている自分の人生とて、夢かもしれない」――ふと浮上するその思いを否定できる根拠はない。"現実"と"虚構"の壁が極限まで薄くなった時感じる心地よさを、この映画で体験したまえ。
(未発表・硬派バージョン)

もし僕がこの映画を一言で説明しなきゃならないとしたら、「最初から最後まで浮遊感にあふれる"内容"と"映像"」となるのかもしれない。まさに、そういう映画だと思う。幸いにして、一言より多い字数を使って、その魅力を伝えさせてもらえるようなので、ちょっと、聞いて欲しい。
1)「内容」
現実か夢の中かわからなくなってしまう主人公が、その真実を確かめようと、歩きまわり、いろんな人に会うというだけのストーリーである。最初の人物が、ひたすら深遠な話をモノローグで彼に語り始める時が要注意。この場面を、単に「"何やら難しいことを語る人"登場のシーンね、はいはい」なんて誤解して、語っている内容を適当に聞き流してしまうと、もう乗り切れなくなる危険性大。なぜって、この映画は全編に渡って、こうだからだ。主人公の前に現れる人全員がそういうことばっかり話す映画なんだから(笑)。
彼らが語る内容は、「現実と夢の違い」「存在とは」「人生とは」「愛とは」「言語とは」「コミュニケーションとは」…。見方を変えればこの映画は、哲学的モノローグばかりをつないだショート・フィルム集ともいえるのだ。そんな"深遠な哲学"の語り部の一人として、S・ソダーバーグ監督なんかも登場しているから、その確信犯ぶりに苦笑させられる。彼は「トラフィック」「オーシャンズ11」もそつなく撮る監督だけど、実は好き勝手にさせたら「スキゾポリス」を撮ってしまう人間なんだから(この超ニュー・エイジ映画については、『スキゾポリスの歩き方』でたっぷり書かせてもらっているのでひとつ読んでほしい)。
2)「映像」
"現実感溢れる動き方のアニメ"であり、それがまた「現実と非現実のあいまいな境界」を象徴しているかのようだ。どういうアニメかといえば、実写映像の上に色を塗る手法。実写(現実の動き)は、無駄な動きに溢れている。ストーリーに不必要な指先の動き、黒眼の微妙な動き、絶えず変わる目尻のニュアンス…。そんな無駄な動きが、本来は無駄が一切存在しない"アニメ"という手法で観た時の奇妙な感覚。
その彩色がまた、アート感覚満載なものだから、クールなイラストが生々しく動いている奇妙な感じだ。だから、どうしてもビートルズのサイケデリック・アニメ映画「イエロー・サブマリン」の"Lucy in the sky with diamonds"を思い出してしまう。「内容」・「手法」ともに"精神世界とポップ・カルチャーの融合"だなんて、この映画はもう、60年代サイケデリック・カルチャーの正統な末裔といえるわけだ。
ファースト・サマー・オヴ・ラヴから脈々と流れ続けた"サイケデリック文化"は、いつしか"ニュー・エイジ文化"と呼ばれるようになり、"洗練"という要素すら加味して日常に当たり前に溶け込んでいるさまは、さながら、この映画の冒頭から流れている趣味の良い室内楽やジャズのようだ。これが、ビートルズが60代になり、フラワー・チルドレン第一次世代が50代になっている2002年の世の中なのだ(誰がこんなクールな時代を予想したことだろう!)。
この映画を観ている間中、あなたは「リアルとは何か?」という命題を浴びせられ続けるだろう。「この映画を観ている今この瞬間の自分だって、たとえば誰かが死ぬ前に一瞬見る夢の中の人物なのかもしれない」――ふと浮上するその仮説を否定できる根拠は何もない。"現実"と"虚構"の壁が、0.01ミリくらいまで薄くなった感覚の心地よさ。それこそがこの映画が与えてくれる快楽だ。

「チョコレート」
監督:Marc Forster
主演:Halle Berryキ
 
「メン・イン・ブラック2」
監督:Barry Sonnenfeld
主演:Tommy Lee Jones, Will Smith
 
「さすらいのカウボーイ」
監督:Peter Fonda
主演:Peter Fonda
 
「ドニー・ダーコ」
監督:Rechard Kelly
主演:Jake Gyllenhaal
 
「ケンタッキー・フライド・ムービー」
監督:John Landis

77年製作のショート・コント・オムニバス映画。監督のジョン・ランディスはその後「モンティ・パイソン」をアメリカ的にしたら、ここまで(良い意味でも悪い意味でも)POPになるのかという見本。ストーンズとエアロスミス、ビートルズとキッスの違いを思い出せばわかるだろう。20年前より発見も多く、より深く味わえた。大ネタ「燃えよドラゴン」のパロディがBGMや微妙な台詞までここまで細かくパロっていたとは。今回、「字幕監修・みうらじゅん」に期待したのだが、英語ギャグが的確に反映されたセンスある字幕というわけでなく失望。
(初出 REAL東京)

77年製作のショート・コント・オムニバス映画。
「モンティ・パイソン」をアメリカ的にしたら、こんなに翳りがなく(良い意味でも悪い意味でも)POPになるのかという見本。英国のストーンズと米国のエアロスミスの違いと言えばわかってもらえるだろうか。ビートルズとキッスでもよいが。
字幕だけを見ていた20数年前より新発見も多かった。
大ネタ「燃えよドラゴン」のパロディは、音楽や台詞まで実に細かくパロっていることがわかる。
例えば、ブルース・リーが少年に指導するシーンの有名な台詞"Wha' was that?"まで確信犯的に登場する。
また、地下牢に閉じ込められた廃人たちを悪の首領はこう形容する。
"They don't know where they are and they don't care ."(こいつらは自分たちが今どこにいるのかも気にしない連中だ)。この映画ではそれを受けて、廃人達の会話はこうだ。"Where are we now?"(俺達、今どこにいるんだ?) "I don't care."(どこだっていいじゃん) 。
まだギャグは続く。別の牢の前で首領がこう形容する。"They don't know where they are and they don't drink."(こいつらは自分たちが今どこに居るのかも知らず、そして酒を飲まない連中だ)。その牢の中の二人の会話は "Where are we now?"(俺達、今どこにいるんだ?)"I don't drink."(俺は飲まないよ)。
ポルノ映画の予告編ネタも面白かった。
主演女優リンダが一人ごろごろと芝生の上を転がり "She's doing classic role!" (役と転がるの意味をかけている)。リンダの両側に裸の女優を更に二人両脇座っている画面にかぶせて"Introducing Nancy & Susan!"(期待の新人、ナンシーとスーザン!の意)という文字が躍り、真ん中のリンダが「スーザン、こちらがナンシー。ナンシー、こちらがスーザン」と単に紹介(=Introducing)するのだ。
今回、「字幕監修・みうらじゅん」ということで相当期待して臨んだのだが、以上のようなギャグがわかりやすく字幕に反映されているわけではない(せいぜい『ドラゴン イカレの鉄拳』あたりにその味を感じた程度だった)。残念である。
(Unreleased long-version)

「チキン・ハート」
監督:清水浩
主演:池内博之 忌野清志郎 松尾スズキ
 
「海辺の家」
監督:Irwin Winkler
主演:Kevin Kline
 
「ヴェルクマイスター・ハーモニー」
監督:タル・ベーラ
主演:ラルス・ルドルフ
 
「イン・ザ・ベッドルーム」
監督:Todd Field
主演:Tom Wilkinson
 
「スター・ウォーズ・エピソード2」
監督:George Lucus
主演:Ewan Mcgregor

エピソード4(第1作)に関連する事物や場所が随所に登場することも含め、これまでの最高傑作といってよい仕上がり。なんといっても壮年ヨーダのかっこ良さ。良すぎて涙が頬をつたう。C3-POがR2-D2に初めて出会う瞬間に代表されるように、その後の人生を先に知っている我々だからこそ、どのシーンを観てもどの人物を観ても泣けて仕方がない。そしてそれは、宇宙(神)として偏在する視点のシミュレーションでもある。とにかくハリウッド正統派娯楽大作のすべてが盛り込まれ丁寧に作られた1作。映画史に立ち会うこの幸運を享受せよ。
(Unreleased version)

「イビサ・ボーイズ・GO・DJ」
監督:エド・バイ
主演:ハリー・エンフィールド
スペインのイビサ島はカフェ・デルマーに象徴される“チルアウト系大人のリゾート”かと思ったら、新島のような側面も持っていたのね。そこで展開される、童貞どたばたコメディ。全編にかかるテクノ選曲がとにかくクール。VIVA IBIZA!こんなコメディ観たかった!2人のおバカ男子高生は英国の人気TVシリーズのキャラと知り、原題「Kevin&Perry go large」の意味も“ケビンとペリーが大きな劇場用スクリーンに登場”という意味と“その2人がアソコを大きくしてばっかりいる”(全編そんな描写ばっかり!)だと納得。
(初出 REAL東京)
「ダスト」 
監督:Milcho Manchevski
主演:Joseph Fines
 
「アイ・アム・サム」
監督:Jessie Nelson
主演:Sean Penn
7歳の知能しかない知的障害者の男性が、授かった娘を男手一つで育てようとする。が、娘が7歳になった時、社会は娘の成育環境に疑問を抱き、父親から引き離し施設に入れる。深いきずなで結ばれている2人の心は…。何といっても、この映画がユニークな点は、その男がビートルズ・ファンという設定だ。授かった娘をダイヤのように大切だとルーシー・ダイアモンドと名づける。何かを語る時もビートルズの伝記エピソードに例えて表現する。全編流れるビートルズのカヴァー曲9曲の使われ方も悪くない。娘を演じる子役の、大人の女優のように成熟した演技も大きな見どころ。
(初出・REAL東京)
「es エス」 
監督:Oliver Hirschbiegel
主演:Moritz Bleibtreu
模擬刑務所での2週間の心理実験を描いた作品。看守役は権力を得たことでどんどん凶暴に、囚人役はどんどん服従的に変貌していく。閉塞感を含め、観客はそこに居るような気分を体感できるが、「71年にスタンフォード大で行なわれた心理実験を完全映画化!」「裁判中のアメリカでは今だ公開不可能な問題作が遂に日本上陸」「実際に行なわれた心理実験を時系列に従い、忠実に再現」というコピーは如何なものか。なぜなら、ストーリーが後半「ジュラシック・パーク」のように暴走するフィクションだからだ。そのあたりの明記は重要だと思う。
(初出・REAL東京)
「天国の口、終りの楽園」
監督:Alfonso Cuaron
主演 Gael Garcia Bernal
 
「模倣犯」
監督:森田芳光
主演:中居正広
酒鬼薔薇事件の例を出すまでもなく、新聞社に犯行声明文を送りつける「劇場型犯罪」が急増してしまった現代。イッセ―尾形の演出家・森田雄三は、主宰する「身体文学」ワークショップで、それら近年の犯罪の根本原理を「知的逆ギレ」と読み解いた。「人が死んだらどうなるか観察したかった」という探究心、「俺だって、こんなに頭がいいんだぞ」と世間に知らしめるための文体…共通点は多い。そんな現代の「犯罪」。この映画はそのすべてを盛り込んでいる。が、すべてが表層的になぞられるのみ。中盤までの面白さが次第に息切れしていくのが残念。ラストはあっけなさすぎ。
(初出 REAL東京)
「キル・ミー・レイター」
監督:Dana Lustig
主演: Selma Blair
 
「トーキョー×エロティカ」
監督:瀬々敬久
主演:佐々木ユメカ
 
「On The Way 」
監督:Jae Eun Choi
主演:Manfred Otto
 
「青い春」
監督:豊田利晃
主演:松田龍平
松本大洋の同名短編集から4作を再構成し、初の実写映画として仕上げた作品。「高校生のやりきれない気分」が、現代の臨場感で描写されていく。松田龍平の魅力によって「透明感のある閉塞感」に昇華されたのもクール。暴力が自然な形で身近に溢れている今どきの高校生活。義務教育でもないのに、勉強する気もないのになぜか高校に通うという虚無感。現代の“青春”映画がこんなに陰鬱なものとならざるを得ない日本はこの先どうなるのだろう。廊下を曲がったら、彼らにばったり出くわしてしまったかの如きリアリティに溢れている映画。周りの役者陣も皆いい味出してます。
(初出 REAL東京)
「月のひつじ」
監督:Rob Sitch
主演:Sam Neil
羊が覗くテレビに映っている少年の真剣なまなざし。そんな宣伝美術にこのタイトル。あなたも漠然とジャンルがイメージできるだろう。しかしそれは全くハズレである。原題は「The Dish」。オーストラリアの田舎町にある南半球最大のパラボラアンテナの愛称だ。このアンテナが、69年にNASAの要請で“人類初の月面着陸”を世界に中継することになった騒動(実話)を描いた映画である。そういう意味では「突入せよ! 『あさま山荘』事件」に近いジャンル。こちらは生死がかかっていない分“軽妙洒脱なプロジェクトX”という趣だ。
(初出 REAL東京)
「ブレイド2」
監督:Guillermo Del Toro
主演:Wesley Snipes
 
「セッション9」
監督:Brad Anderson
主演:Peter Mullan
 
「マジェスティック」
監督:Frank Darabont
 主演:Jim Carry

デビュー作(『ショーシャンクの空に』)・2作目(『グリーンマイル』)と、スティーブン・キング原作ものが続いたダラボン監督の3作目はオリジナル脚本だ。ハリウッド映画界そして映画館が舞台だけに、大人のニュー・シネマ・パラダイス的な趣きもある1作。ただし、時代は赤狩りファシズム吹き荒れる時代。ややもすればイスラム擁護論が白眼視されがちの9.11以降の我々にその時代設定はむしろ生々しい。ハリウッドを襲った赤狩りに興味がわけば、ヨーロッパに亡命して映画を撮った男「ジョセフ・ロージー/四つの名を持つ男」を観るもよし。
(初出 REAL東京)

デビュー作(『ショーシャンクの空に』)・2作目(『グリーンマイル』)と、スティーブン・キング原作ものが続いたダラボン監督の3作目はオリジナル脚本。赤狩りのファシズム吹き荒れる時代が舞台。右傾化を憂慮するそのテーマは、9.11以降イスラム擁護論が白眼視されがちの今だからこそ重要な意味を持つ。ハリウッドを襲った赤狩りに興味がわけば、ヨーロッパに亡命して映画を撮った男「ジョセフ・ロージー/四つの名を持つ男」を観るもよし。
予告編から想像するに、浦島太郎(タイムスリップ)系か、あるいはかぐや姫(『E.T.』)系かと思いきや、単なる記憶喪失ものだったのは意外。根底にハリウッド映画讃歌もあるため、大人のニュー・シネマ・パラダイス的な趣きもある。「アトランティスのこころ」なんかもそうだが、大作ムードをはらみながら惜しくもそこまでは化けきれなかった作品。コーエン兄弟の「バーバー」が、小品ムードなのにかなり凄い作品だったのとは対照的だ。
(unreleased long version)

「アトランティスのこころ」
監督:Scot Hicks
主演:Anthony Hopkins

“少年だった日々の輝き”“特殊な能力を持つ者”...スティーブン・キングの二大路線をどちらも盛り込んだ映画である。不思議な力を持ち、暖かい包容力にあふれ、人生の先達として少年に様々な知恵を与えるその男性(彼が父親の象徴であることは、少年の家が母子家庭であることからも明らかである)を演じるのは、アンソニー・ホプキンス。その雰囲気は、どこか"隠遁中のレクター教授"。いつ少年に噛みつくかと心配しつつ「あの映画」のほのぼの番外編として観ると相当面白い。作り手もその点に関してほぼ確信犯と見た。地味なのに妙に思わせぶりな題名は結局未消化で、小粒にまとまった点は惜しい。
(初出 REAL東京)

スティーブン・キングと聞いてあなたはどんな話を想像するだろうか。少年だった日々の輝き、特殊な能力を持つ男…この映画はその両方が盛り込まれている。不思議な力を持ち、暖かい包容力にあふれ、人生の先達として少年に様々な機智を教えてくれるその男を演じるのは、アンソニー・ホプキンス。これは期待しない方がおかしい。彼が、男の子にとっての父親の象徴であることは、その家が母子家庭であることからも明らかだ。
ただ、見終えてどこか小品の香りがするのはなぜだろう。「グリーン・マイル」のように“スペクタクル系でなくとも大作の香りがするもの”も可能なはずだ。「光の旅人」もそうだが、基本的な構造は「E.T.」。本家「E.T.」がいみじくも20周年記念版という形で公開されたことも含め、同時多発的に現代は“物語”の復権が望まれている時代だということがわかる。
(Unreleased long-version)

「少年の誘惑」

テーマは“少年が性に目覚め、友人の姉にどきっとする様々な瞬間”。全編、少年がただ静かにどきっとしているのである。白いスカートから逆光で見えたシルエット等々、監督が少年期にどきっとしたあらゆる瞬間を、私小説的にこれでもかと集めたイメージクリップ集なのだ(最終的にはアイスキャンデーを様々な方法でなめる様子まで登場)。“淡いお色気”にこだわりを持った人間が丹念に作った奇作だとわかれば楽しめる。ストーリーや設定はそれらのイメージを成立させるための下僕である。子役達が意味を把握し演じているとしたら、まさに"役者"だ。
(初出 REAL東京)

この映画のテーマは、“10歳くらいの男の子が性に目覚め、友達の家の13歳くらいの姉にどきっとする様々な瞬間”というものだ。どちらが誘惑するわけでもないし、どちらかが意思表示をするわけでもなく、ましてや成就するとか、そういう話ではない。少年がただただ静かにどきっとしているのである。人によっては、思わせぶりで何も起きない薄味の映画だと思うかもしれない。
しかし監督が描こうとしたものは、まさにそういう“微妙な情感”なのだ。逆光でスカートの中の下半身の輪郭が透けて見えた瞬間・綿シャツのボタンの隙間からちらり見えた下着・なわとび遊びに興じる姿…、“お下げ髪&すっぴんのお姉さん(少女)”の清楚なエロチシズム。そのあらゆるモチーフを、監督のこだわりによってこれでもかとばかりに呈示し、つなげたイメージクリップ集なのだ(ついにはアイスキャンデーを様々な方法でなめる様子まで登場)。
この映画が、そんな微妙な嗜好を持つ人が丹念に作った私小説的作品だということを見抜きさえすれば、これが世に生まれたこの珍しい瞬間を楽しめることだろう。ストーリーや設定は、イメージを成立させるための下僕であり、友達の家に両親が一度もいないのはその意図を象徴的に明かしている。幼い子役達が脚本の意味を把握して演技しているのだとしたらまさに“役者”である。(宮永正隆)
(初出 POP ASIA・42号)

「突入せよ! 『あさま山荘』事件」
監督:原田眞人
主演:役所広司
「地獄の黙示録 特別完全版」「KT」「ALI」「ワンス&フォーエバー」…、映画界は70年代検証モードだ。あの時代に成人だった人々は誰もが“どちら側につくのか”という選択を迫られて生きていたことが伝わる生々しさ。それはあのNY同時テロ以降の我々の状況ともまさにシンクロしている。この作品が裏テーマとして白日の元にさらしているものは、「七人の侍」の農民達ばりの姑息な日本的田舎意識。“縄張り”争いするばかりで職務は二の次という警察や官僚たち。今もそうであろう事実に慄然。赤軍派の視点から検証する「光の雨」と併せて観たい1本。
(初出 REAL東京)
「スパイダーマン」
監督:Sam Raimi
主演:Tobey Maguire
ティム・バートンより社会性はもう少しあるとはいってもオタクの気持ちを誰よりも知り尽くすサム・ライミ監督起用は大成功。悩みを抱えるシャイな主人公の内面と、ビルとビルを飛び回る爽快感との見事な対比。意中の女性との初めての抱擁シーンやキスシーンの演出にはグッと来る。監督本来の持ち味である“コミックの実写版のような作風”とアメコミの幸せな結婚。荒唐無稽になりがちな“主人公&悪役怪人の誕生エピソード”も、原作を少し変えてリアリティ2割増に成功。うるさ方のファンをも満足させるであろう出来に拍手。(初出 REAL東京)
「ノーマンズ・ランド」
監督:Danis Tanobic 
主演:Branko Djuric
「少林サッカー」
監督:周星馳Stephen Chow 
主演:周星馳Stephen Chow
 
「チェルシー・ウォールズ」
「銀杏のベッド」  
「プロミス」
「にっぽん零年」
「歌え! フィッシャーマン」
「金魚のしずく」  
「新・仁義の墓場」 多様なジャンルをハイ・ペースで発表する三池崇史の最新作。前作「荒ぶる魂たち」が現代ヤクザ映画の快作だっただけに、お得意のヴァイオレンス(やくざ)もの2連続にときめいた。が、「荒ぶる…」が権謀術数に満ち満ちた群像劇であったのに対し、今回は1人の滅茶苦茶なヤクザが、敵も味方も散々な目にあわせ太く短く生きる話。動物的な破壊衝動で生きている男ゆえ、とんと行動が読めない。後半、まだ生きてるかというしぶとさで次々と人を殺すその姿は、まるで「13日の金曜日」のようだ。ストーリーを味わうというより、破天荒さに呆れるための映画。その辺が好みが分かれるところだろう。
(初出 REAL東京)
「アート・オブ・エロス」 世界の監督23人がエロスをテーマに30分の短編を撮る企画。今回はそのうち6本。感性とイメージだけで流す監督もいれば、短編ゆえ軽妙に作る監督もいる。しかし中には短編とは思えぬ重厚で気合の入った作品を作ってみせる監督もいる。ヤヌシュ・マイェフスキ(ポーランド)、スーザン・シーデルマン(米国)の2作品が素晴らしく、この2本に出会えることが今回の意義かもしれない。ミカ・カウリスマキ(フィンランド)はまあまあ。ケン・ラッセル(イギリス)は単なる軽い艶笑たんでカックン。
(初出 REAL東京)
「暗い日曜日」 ブダペストのとあるレストランのピアノ奏者が作ったとされるスタンダード・ナンバー「暗い日曜日」には数奇なドラマがあった。シックでありながら黒雲がたちこめ始めた時代。そこに男2人と女1人の恋愛があり、ナチスの台頭とユダヤ人狩りがからむ。そして、ここが最大のポイントなのだが、この映画のオープニングは現代だということ。そこに至るまでの回想がこの映画なのだ。最後の重要な場面も実にさり気ないカメラワーク。決してこれ見よがしに大写しになどしない。実にシックな大人の映画である。
(初出 REAL東京)
「ワンス&フォーエバー」  
「ハイ・クライムズ」  
「E.T. 20周年アニバーサリー特別版」 いくつかのシーンが復元され、追跡する大人たちの銃はCGで消されたそうだが、細部にこだわる必要はない。重要なことは、観客の内面が20年間で変化したことによる新たな発見だ。例えば冒頭でE.Tが長い2本の指で小さな苗木を採取した直後(E.T.の視線で)そびえ立つ大木を見上げる一瞬のシーン。これも「大人になるということ」のメタファーだと今回気付き、ぐっと来てしまった。そして最大の発見は、この映画は「友情」ではなく「恋」の物語であるということ。よく言われる「ピーターパン」は隠し味で、本質は「竹取物語」だったのだ。
(初出 REAL東京)
「バーバー」  
「モンスーン・ウェディング」 文字通り、モンスーンの季節の結婚式と家族を描いた作品。一族郎党が集まり、様々な人間ドラマが起こる。式を目前にしてもなおこれまでの不倫相手の男と切れないでいる主人公。その従姉は従姉で、昔自分にイタズラをしていた叔父と再開し複雑な感情を抱いている。いなせな従兄は若い娘から積極的なアプローチを受け始めるし、式の設営を請け負った業者の男はその家のメイドと恋をし、花嫁の父は式を成功させんと心を砕く…。山田洋二映画のようでもあるし山田太一ドラマのようでもある。「踊るマハラジャ」とは対極の、インド国外で受けるタイプのインド映画。
(初出・REAL東京)
「光の旅人」 大作ではないが、実にきちんと作られていて味わい深い佳作。駅で保護され精神病院に収容された男は“自分はK-パックス星から来た”と主張する。その説明は、最先端の天文学者もうならせる。彼の担当精神科医との関係を主軸に、やがて院内の患者達も彼に触発され変化し始める。まさに「カッコ―の巣の上で」「かもめのジョナサン」と同ジャンルの、ニューエイジ思想が基調となっている。人間(社会)は、理解の範疇を逸脱するものに出くわすと、それを無かったことにしようとする。そういう意味ではこの大人のファンタジーは、「A2」「地獄の黙示録・完全版」とも通じる。
(初出 REAL東京)
「ローラーボール」
 
「地獄の黙示録 特別完全版」  
「ヴァニラ・スカイ」
「棒」  
「Color of Life」
「unloved」  
「とらばいゆ」
「トゥーランドット」
「ミスター・ルーキー」
 
「D-TOX」  
「スパイダー」  
「ブラックホークダウン」  
「ピーピー兄弟」  
「翼をください」  
「愛の世紀」
「コラテラル・ダメージ」
「ニューヨークの恋人」  
「GIRLS GIRLS」  
「ギガンティック」  
「KT」

72年、金大中氏が日本で何者かに拉致され、その5日後ソウル市内で発見された。大騒ぎではあったが(当時中1の僕など)意味不明のまま41歳になっている(苦笑)。この事件に関係した日韓すべての人物の心理と行動を調査・証言を元に描くという試みを、W杯合同開催のこの時期に行なうのは意義深い。ノンフィクションとドラマの線引きが不明瞭なのはもったいなかった。あさま山荘事件の映画も続々製作され、ハリウッドでは「ALI」…“70年代の総括”は近年の映画界の潮流の1つだ。あとは三島由紀夫事件。とりあえず日本未公開のハリウッド映画「Mishima」(主演・緒方拳)を見て過ごすべし。
(初出 REAL東京)

'73年に日本で起きた「金大中拉致事件」を描いた作品。
韓国の大統領候補である金大中が日本で何者かに拉致され、その5日後ソウル市内で発見された、この事件。当時は新聞やTVで連日大騒ぎだったが、(当時中1の僕なんかは)一体何が何だかわからぬままこうして41歳になっている(苦笑)。
だから、W杯合同開催が迫るこの時期にこそ一度総括しておくべき事件であることは確かだ。
調査・証言を元にこの事件に関係した日韓すべての人物の心理と行動をスリリングに描ききるという試みは実に興味深い。“ノンフィクション×ドラマ”という触れ込みだが、どこからがフィクションなのか線引きがわかりにくいのはややもったいない。
あさま山荘事件を描いた映画が最近続けて作られ、ハリウッドでは『ALI』と、“70年代の総括”は近年の映画界の潮流の1つだ。こうなれば、あとは三島由紀夫事件の総括を期待したい。それまでは日本未公開のハリウッド映画「Mishima」(主演・緒方拳 沢田研二・永島敏行らも出演)を見て過ごすべし。
(Unreleased long-version)

「ALI」

数々の逸話も含め「伝説」のへヴィー級チャンピオンである彼の半生を描くことは、アメリカのブラック・カルチャーの60〜70年代を描くことでもある。フォレスト・ガンプという架空の人物で、白人のそれを描いたように。だから、アトランタ五輪の聖火場面までを描けば更に見ごたえある作品になったのに、ボクサーとしての全盛期のみを描いた映画だったのはいささか意外。ついでに、その生涯のモンドな側面(アフリカの食人大統領アミンとの試合計画・フセインとの直接対話による人質解放・日本人的には対アントニオ猪木戦も)にスポットを当てた伝記映画も観たくなった。
(初出 REAL東京)

KO予告を含む口数の多さ・徴兵拒否など数々の逸話も含め、伝説のへヴィー級チャンピオン、モハメッド・アリ。彼がどういう存在だったかを描く本作は、アメリカのブラック・カルチャーの60年代70年代を描く映画にもなっている。白人のそれをフォレスト・ガンプという架空のアイコンで描いたように。伝説の名試合の様子はなり忠実に再現されているので、あとで本物の試合フィルムと見比べるのも一興であろう。
アフリカの食人大統領アミンとの試合企画、直接フセイン大統領と対話し人質解放に成功したエピソード(そして日本人としては、対アントニオ猪木戦の意味など)モンドな生涯を勝新太郎的な破天荒な人物としての興味も尽きないだけに、96年アトランタ五輪でパーキンソン氏病の姿で聖火に点火する姿までの「生涯」を描いているに違いないと思い込んでいた。しかしなんと“ファイターとしての全盛期”を描いたのみ。突然ストンとエンド・タイトルが登場したのにはいささか拍子抜け。
(Unreleased long-version)

「ザ・ワン」 多元宇宙にいる自分を順に殺していき全宇宙で唯一になった時その人間は全知全能の存在になれる、と気付いた凶悪な男。そんな彼が狙う最後の1人がこの映画の善玉であり、演じるのはもちろんどちらもジェット・リー(笑)。彼がいかに強くて速いかを示す描写として、銃弾の雨がゆっくり向かってくるすきまをよけつつ数人を撃ち殺し、空中に舞う数人を蹴り倒す。マトリックスとも違う「サイボーグ009の島村ジョウが加速装置をONにした世界」の実写化。1人が上着を脱ぎどちらが善玉か観客にわからせたり、2人同じ服を着てどちらが善玉かわからなくさせたりと、1人2役モノの定石も次々登場。
B・リー(李小龍)の後継者的役割を少しでも果たさんとの志を感じさせるジェット・リーだけに、自分自身と戦うシーンは、「もしB・リーが生きていたら」を想像させる。武道を極めた者に与えられる高次の課題としての“まったく同じ力量の相手と戦うにはどうするか”という設定を、映像世界の技術革新に伴い(自分とのメンタルな戦いという哲学的内容ともからめながら)娯楽性を両立させたマーシャルアーツ映画として呈示する可能性は高い。
ラストの大オチは一見ハッピーエンド風だが、よく考えると問題は山積み。CG特撮チームはOPの多元宇宙の描写をはじめ、かなりクールな仕事ぶり。
(初出 POP ASIA 41号)


125もの多元宇宙にいる自分を順に殺していき、全宇宙で唯一の自分になった時その人間は全知全能の存在になれることに気付いた凶悪な男の物語。
彼がいかに強いかといえば、バイクを片手に1台ずつ持ち上げまるでダンボール製みたいに振り回し敵をはさんで倒したりする。また、物凄い速さで戦う描写として、銃弾の雨がゆっくり向かってくるのをよけつつ数人を撃ち殺し、空中に舞う数人を蹴り倒す。マトリックスとも少し違う、まさに「サイボーグ009の島村ジョウが加速装置をONにした世界」としかいいようのない概念の実写化。
そんなに強くて悪い彼が狙う最後の1人がこの映画の善玉であり、演じるのはもちろんどちらもジェット・リー(笑)。1人が上着を脱ぎどちらが善玉か観客にわからせたり、2人同じ服を着てどちらが善玉かわからなくさせたりと、1人2役モノの定石も次々登場。
B・リー(李小龍)の後継者的役割を少しでも果たさんと志を感じるジェット・リーだけに、同じ強さを持った自分自身と戦うシーンは、「もしB・リーが生きていたら」を想像させる。
リーが今も生きていたら、映像世界の技術革新により、(武道を極めた者が次に与えられる課題として)“まったく同じ力量の相手と戦うにはどうするか”という映画を撮った可能性は少なくない。おそらく、「自分とのメンタルな戦い」という哲学的内容とも絡めながら、娯楽性をも両立させたマーシャルアーツ映画として、呈示したのかもしれない。あの豊かな表情と声と戦い方を2ヴァージョン呈示して、僕らを魅了してくれたのだろう。悪玉のリーは少〜し凶悪な演技で(笑)。そんなことを想像しながら、ジェット・リー同士の戦いを観るのは実に興味深かった。 
(unreleased long version)
「クロエ」  
「プライベートレッスン 青い体験」  
「カタクリ家の幸福」 「殺し屋1」「荒ぶる魂たち」等々、センス最高のヴァイオレントな作品だけが三池崇史の世界ではない。本作は、リストラされた中年が一家を連れて都会脱出、始めたペンションで次々死ぬというブラック・コメディだ。それを隠し続ける一家。主人公夫婦に沢田研二&松坂慶子、じいちゃんに丹波哲郎、息子に武田真治、結婚詐欺師に忌野清志郎…彼らが歌い踊る12曲(歌謡曲の大御所・馬飼野康ニの書き下ろし)。そう、ミュージカルなのだ。原案とされる韓国映画「クワイエット・ファミリー」を遥かに超えたモンド映画。観て損はない。
(初出 REAL東京)
「ロード・オブ・ザ・リング」
「聖石伝説」  
「害虫」

「モンスターズ・インク」

タイトルは、モンスター界のエネルギー供給(原料は子供の悲鳴)を一手に引き受ける会社名。末永く愛される名作の誕生だ。実写では不可能な映像をさながら実写のように展開できる「フルCGアニメ」という技術の進歩は今更ながらもっと驚嘆されてもよい。五感に訴える隠し味は、子供時代に持っていた「大きく暖かそうで頼もしいもの(=父性の包容力・安心感)に顔をうずめたくなるあの衝動」と、大人になって得た「無垢なもの(=赤ん坊)に接して心洗われるあの気持ち」。スペクタクル場面が前作「トイ・ストーリー2」の焼き直しだった点は惜しかった。
(初出 REAL東京)

タイトルは、モンスター界のエネルギー供給(そのエネルギー源は子供の悲鳴)を一手に引き受ける社名。社内で業績No.1を誇るできる男(モンスター)サリーが主人公。人間に置き換えて考えれば、仕事中のアクシデントが発端となって大変な社会的騒動に巻き込まれていくサラリーマンの冒険たんなのだ。
実写では不可能な映像を実写のように展開できるフルCGアニメの技術革新は、セルアニメがどんどん技術革新していった時代の衝撃もかくやと想像させられる。
五感に訴える隠し味として、子供時代に持っていた「大きく暖かそうで頼もしいもの(=父性の包容力・安心感)に顔をうずめたい衝動」と、大人になって得た「無垢なもの(=赤ん坊)に接して心洗われるあの感情」がこの映画の最大の魅力だろう。
こういう五感に訴える試みは、「バグズ・ライフ」の甲虫や芋虫やアリマキの発展型ともいえるし、そういう意味では「トイ・ストーリー2」で実験したスペクタクル場面の発展型のような場面もあるが、これは残念ながら焼き直しの域に留まってしまった。「トイ・ストーリー2」といえば、あの映画のテーマはかなり深いものだった。なんせ“幸福に満ちた永遠の命”と、“現世の人間との、近い将来必ずや終わりが来る程度の絆”のどちらを選ぶか・・・といった、哲学的な究極の選択がテーマなのだから。これは、出家信者が家族から目を覚ますよう説得される場面と本質はまったく同じなのだ。
しかしながら、「モンスターズ・インク」はそのキャラクターのキャッチ−さを含め「トイ・ストーリ−2」以上に末永く愛される気がする。そんな名作の誕生だ。劇場に行って立ち会わない手はない。
(Unreleased long-version)

「ヴァンパイヤ・ハンター」
 
「アナトミー」  
「父よ」
 
「折り梅」
「アザーズ」 古い館に住む女主人に日光アレルギーの2人の子供。そのため、日中でも分厚いカーテン を閉めきり、各部屋のドアは鍵をかけてから次のドアをあけねばならない。そこへ、新聞 で募集した3人の使用人が訪れる・・・。まさにクラシックな怪奇漫画のような舞台設定。 スプラッターとは対極の格調ある静かな語り口、あっとおどろく大オチ。全体を覆う正統 で格調あるトーンは29歳の監督とは思えぬ見事さだ。ニコール・キッドマン扮する女主人 はそのクラシカルなブロンド・ヘアも含め、確信犯的にヒチコック映画のグレース・ケリー であり、役名がグレースなのは象徴的。子供たちの「まさに怪奇もの」という表情も必見。
(初出 REAL東京)
「サウンドトラック」
 
「レプリカント」  
「グラスハウス」  
「陽だまりのグラウンド」
 
「ランドリー」
 
「シッピング・ニュース」  
「A2」 オウム(現アレフ)の内部に入って取材したドキュメント映画「A」の続編。「信教の自由」、つまり「特定の宗教を信じる」ことは「自由である」と憲法は保証している。それに照らせば、アレフの信者たちは弾圧されて良いはずがない。が、その一方で「もし今、麻原の命令があれば従う。それはこの宗教を信じている以上、当然」と答える信者。もちろん帰依するとはそういうことだ。・・・このパラドックスを真剣に検討せぬままオウム事件を風化させてよいのか、とこの映画は我々に訴えかける。余談ながら、マスコミが報じている「各地住民との対立状況」は実は虚像だったという、現実の奇妙さ・のどかさも新鮮。
(初出 REAL東京)

オウム(現アレフ)の荒木広報副部長のイニシャルをとった前作「A」の続編。オウムの内部に入って、信者や外の世界の人々を捉える視点は、実にエキゾチックだ。
マスコミがステロタイプで報じている「各地住民との対立状況」は実は虚像であり、住民たちが次第に信者と仲良く共存している様子などをカットして放映しているのだとわかった時の衝撃。その理由を“問題の焦点をぼやけさせるから”とか言うのだろうが、ありのままを報道したらぼやけるような焦点ならそれを維持する必然があるのだろうか。
マスコミ側の理解の範疇を超えているからというだけの理由で、オウムに「殺人集団」というレッテルを貼り排斥衝動をあおる日本のマスコミの姿勢は、いつ何時アレフ信者でなく我々にも牙をむくかもしれない“村八分”の図式だと震撼させられる。
信者個々人の人柄などが浮き彫りにされていくうちに「何だ、いい奴じゃん」と思ってしまう。しかし次の瞬間には「もし、麻原にサリンをまけと命令されたら、ですか? これ正直に答えちゃうとまた問題なんだろうなあ(笑)。…ええ、もちろん従いますね。だって、グルを信じてないなら信者やってる意味ないですし。僕なりに何生も先まで見つめた上での判断ですし…今生だけ見ているわけではないんで仕方ないです」とも語る。「信教の自由」は憲法で保証されている。つまり「宗教を信じる」という行為を「自由に行なってよい」という概念を追求していくと、アレフの信者たちを弾圧するのは江戸時代のキリスト教弾圧と同じ非道な行為なのだ。「信じる」「帰依する」という言葉の意味を我々は知っているではないか。宗教とはコミット(教義への服従)を求められるものであり、そうじゃなければ「その宗教の信者」とは言えないことも、我々は知っているではないか(だから、“自分は何教の信者だ”と名乗っていい日本人は少ない。大多数が無宗教という珍しい国。これはこれで面白い状態だとは思うが)。
オウム事件はこの大きく深い問題を各自考える最大のチャンスであった。にもかかわらず、単なるいじめの図式で、どこに行こうと際限なく石を投げて追い出し続ける状況のまま風化しかけている。
そんな幼児のような民度の国民とマスコミ報道に、なんとかクサビたらんとしている宝石のような映画。監督になぜ前作「A」をビデオ化しないのか尋ねたところ、「手を挙げるメーカーがないんです」とのこと。ドキュメントであって、アレフの広報映画ではないのに。この国は、「事なかれ主義で、他人の目ばかり気にして、自分さえ良ければよい」といった、七人の侍の百姓達のような、村社会型の巧妙で緩やかな統制が行き届いていることを痛感させられる。それこそが、この映画が浮き彫りにしたものなのだ。
(unreleased long version)

「ナショナル7」
 
「エネミー・ライン」
 
「上海アニメーションの軌跡」  
「荒ぶる魂たち」 竹中直人・伊武雅刀・秋野太作がやくざの組長、総長にミッキー・カーチス、その上の天 成会幹事長に松方弘樹、主役の行動隊長が加藤雅也…そんなヤクザ映画観たいと思いませ ん? ヤクザ映画にまったく興味なかった僕が、ずっとこの世界に居たいと思った2時間 30分。居たいといっても、そこは怖い世界ゆえ、サファリパーク的な「神の眼」として、 ですけど。始めの方でチンピラ役で登場の三池監督も最高にカッコいい。あのドキュメン タリ―・テイストの言語感覚こそが、(「殺し屋1」にも共通して)三池作品にぞくぞくさせ られる理由なのだ。
(初出 REAL東京)
「無問題2」  
「ジーパーズ・クリーパーズ」  
「活きる」  
「コンセント」 引きこもりの兄・大学時代に心理学教授と不倫していた主人公・シャーマン研究の友人・精神科医の男で構成する物語。ユタ・神崇り(カンダーリ)といった単語群、そしてなぜディジリドゥの演奏が突然挿入されるのか・・・。これらは皆ニューエイジ(精神世界)・カルチャーのキーワードであり、この映画は、日本がそういう時代に入ったことを表現した作品なのだ。ニューエイジと切っては切れない音楽である“テクノ”が我が国でも相当深く浸透していることは今や厳然たる事実だ(若者向けの服屋のBGMを聞くがよい)。手垢のついていない実力派で固めたキャスティングも良し。
(初出 REAL東京)

テクノが我が国でも浸透拡散しているのは今や厳然たる事実だ(若者向けの服屋のBGMを聞くがよい)。それは同時にニューエイジ(精神世界)・カルチャーの浸透をも意味する。この映画は、日本がそういう時代に入ったことを表現した作品だ。そのラインさえ見えれば、なぜ精神世界系の単語――ユタ・神崇り(カンダーリ)・シャーマンといった――に全編彩られているのか、なぜディジリドゥの演奏が突然挿入されるのか、が理解できるだろう。ちなみに、これらの単語は全てNHK特集「驚異の小宇宙・人体U〜脳と心」に登場している。「脳と心」だけ、人体Uとして独立させねばならなかったことは象徴的だ。
(unreleased version)
「友へ チング」  
「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」

レトロな光景満載の伝記ドラマかと思ったら大間違い。写真や朗読で構成した「知ってるつもり」(ただし2時間20分)だった。だから映像美や演出を味わうという映画ではないが、ずいぶんとためになる。女性による文芸&思想誌「青鞜」のリーダーとして当時「新しい女たち」などと嘲笑含みで注目され、生涯をかけて女性解放や世界平和運動を続けた彼女は、オノ・ヨーコの先達のような人だった。ロスト・ヴァージンのくだりや「若いツバメ」という言葉を生んだゴシップまさに現代のよう。禅道をもきわめた彼女の中心は常にゆるぎなく静かだ。動く映像は14秒のみという条件下でよくまとめたものだ。
(初出 REAL東京)

「助太刀屋助六」 “岡本喜八監督の新作は時代劇で、真田広之演ずる一匹狼の助太刀稼業”と聞けば、当世フリーター気質などとだぶらせたセンスある時代劇かと期待してしまうのは当然だろう。が、全てがあまりに表層的。有名どころの役者たちが器用に演じてはいるのだが、筋も心理描写もあまりに薄っぺらなのだ。元々は監督が1969年にTV映画として作・演出したもののリメイクとのことだが、依然TVの時代劇特番のような安っぽさを感じてしまいノレなかったのは、僕が“ホンペン”(劇場用映画)というものに期待しすぎているのだろうか。
(初出 REAL東京)