映画 メディアで発表したレビュー 2001【お勧め度(満点★5)】

 
 

彼が2001年どんな映画を観たのか、そしてそれをどう評価したのかが一目瞭然。
何を観ようか迷った時の参考に。

「ザ・メキシカン」  
「DENGEKI」  
「デンジャラス・ビューティー」 先日の国会中継が驚異の視聴率を記録した理由は、答弁が棒読みではなく自分の言葉だったからではないか(※)。この映画のテーマもまさにそれ。“自分自身であれ”である。サンドラ・ブロックは主演のみならず製作にも関わり八面六臂の活躍。「ファウル・プレイ」的ドキドキコメディの名作の誕生である。彼女の当たり役として今後シリーズ化もありかもしれない。マイケル・ケインやウィリアム“カーク船長”シャトナーの好演も全編通してわくわくさせられるし、懐かしやキャンディス・バーゲンも実にその役柄を楽しんでいる。
(初出・REAL東京)
※ これを書いた当時この点はあまり指摘されていなかった(と思いたい)。
「ムルデカ」
 
「テルミン」  
「クイーン・コング」 76年の「キング・コング」のリメイク製作当時に作られ封印されていた作品が25年の歳月を経て、なんと日本でワールド・プレミア公開。しかも広川太一郎・小原乃梨子らによる吹き替え版、と聞きモンド好きとしては相当の期待を持って臨んだ。が、感想は“なるほど今まで封印されていただけある”。広川氏の起用で無条件にモンティ・パイソンの香りが立ち昇るものでもないという貴重なサンプル。だれる筋立てをカヴァーしようと飛び出す超訳には広川フリークの筆者ですらお腹一杯。“駄洒落好きの上司を持つ部下”の気分になりたい人は必見。
(初出・REAL東京)
「マレーナ」  
「姉のいた夏、いない夏」  
「アリーテ姫」
 
「OGRE 魔王」  
「ハムナプトラ2」  
「ゴシップ」  
「ウォーター・ボーイズ」  
「完全なる飼育 愛の40日」  
「こころの湯」  
「劇場版ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」  
「PUZZLE」  
「テイラー・オブ・パナマ」  
「忘れられぬ人々」  
「夏至」  
「デュカネ 小さな潜水夫」  
「金色の嘘」  
「おいしい生活」  
「シビラの悪戯」  
「王は踊る」  
「沈黙のテロリスト」  
「ゴースト・ワールド」  
「蝶の舌」  
「オー・ブラザー」  
「アメリカン・ナイトメア」  
「パール・ハーバー」  
「RUSH!」 パルプ・フィクション的“時間軸シャッフル”を更に歪ませたスラップスティック・ロード・ムービー。アメリカっぽい風景のロケハンも見事。哀川翔&キム・ユンジン(「シュリ」のヒロイン)カップルの脇を固めるのは大杉漣・阿部寛・千原浩史…。「鮫肌男と桃尻女」「けものがれ、俺らの猿と」系が好きな人は必見。前者の我修院達也・後者の鳥肌実にあたるのが、本作ではハニホー・ヘニハー(アスパラドリンクCMで我修院と共演していた事実は象徴的)。「ザ・メキシカン」も含め最近はみな外圧で渋々“冒険”に出るのが村上春樹的。
(初出・REAL東京)
「チュブラーシカ」  
「エヴォルーション」  
「ビヨンド・ザ・マット」

巨大プロレス団体WWFの協力でその舞台裏を赤裸々にドキュメントした怪作。暗黙の了解とはいえ、実際に試合前の選手同士の“打ち合わせ”を見る機会は少ないだろう。なるほど完成後、WWFは圧力をかけて試合中継でこの映画のスポットCFを流すことを中止させたとか。中でも魅力的な人物は、WWF社長のビンス・マクマホン。興行一家の3代目としてオールバックの背広姿で社長業もこなす傍ら、時には悪役レスラーとして自らもリングに立つから大笑い。ドキュメントが好きな人なら楽しめるだろう。プロレス・ファンはどうなのだろうか。
(初出・REAL東京)

 

この映画は“何かの間違いで世に出ちゃった”映画である。こういうジャンルはこれまでにもたまにある。「ゆきゆきて神軍」は、映ってる一般人の肖像権をどうクリアして上映(のみならずビデオ化に)までこぎつけたのだろうか。「フリークス」もビデオ化までされたことが奇跡に思える。今回のこの作品は、巨大プロレス団体WWF(ハムナプトラ2に出演のザ・ロックはここのスター選手)の舞台裏を赤裸々に描写したドキュメントで、試合前の“打ち合わせ”など“ここまで描いていいの?“感に溢れている。ドキュメント好きは必見。
(unreleased version)

「ドリヴン」  
「エド・ウッドのクレイジー・ナッツ」  
「イルマーレ」  
「A.I.」  
「大河の一滴」  
「バックステージ」  
「ダイオキシンの夏」  
「ドクター・ドリトル2」  
「ヤマカシ」  
「ヴァージン・ハンド」 ウディ・アレン主演、シャロン・ストーン共演のコメディと聞きわくわくするも、二人は純粋に役者として登場する、メキシコ人監督によるメキシコが舞台の小品であった。とはいえ、ウディその人の人格(=ウディ監督作品で彼が演ずるキャラクター)は文体模写的に息づいていた。こういう在り方って、素のたけし(=たけし監督作品で彼が演ずるキャラクター)が他人の演出によるCMに起用され始めたのと同じくらい、稀有な在り方ではなかろうか。シャロン・ストーンの“場末”感は洒落にならぬ気もしたが、もし演技力ならトラボルタ的に一皮むけて復活の可能性もあり。
(初出・REAL東京)
「バッド・スパイラル 運命の罠」  
「オーバー・サマー」
 
「夜になる前に」  
「或る小説家の妻 ノーラ・ジョイス」  
「ELECTRIC DRAGON 80000V」 “浅野忠信と永瀬正敏が怪人となって80000Vの感電バトル“という石井聰互監督のこの映画、モノクロ・55分という変則的なスペックも含め、相当の思い入れをもって臨んだし、実際、二人が出会うまでの助走部分は、その60年代C級SF漫画調のテイストに、暗闇でニヤケて堪能していたのだ。ところが、いざ対戦になってカックン。浅野が、武器のギターをそれこそ”電気ビリビリに“かき鳴らすシーンなど常軌を逸した冗長さ。短編映画でダレさせちゃいかんでしょ。
(初出・REAL東京)
「キス・オブ・ザ・ドラゴン」 こちらをご覧ください(初出・『POP ASIA』37号 (2001年8月))
「反則王」  
「エスター・カーン めざめの時」  
「ザ・トレンチ 塹壕」  
「ブロウ」  
「VERSUS」
 
「エレベーター」  
「メメント」  
「ビバ! ビバ! キューバ」  
「千と千尋の神隠し」 「千と千尋の神隠し」
戦時中に「ファンタジア」を極秘で観た淀川長治氏はその水準に「我が国は勝てない」と確信したとか。「千と千尋」を観た諸外国はその時の淀川さん状態になるやも。特に"幕の内弁当的娯楽作"という点で(のみ)共通の「パール・ハーバー」を作った輩は爪のアカでものむように。「ディズニー+ルーカス+スピルバーグ」に、「柳田国男」を兼備した世界観の奥行き。秋葉原系をキャラ化したカオナシのくだりのHなこと。そんな毒も含め当方昇天。
(初出・REAL東京)
「トゥーム・レイダー」 「ハムナプトラ」的“インディー・ジョーンズばったもの”の一作かと思いきや、なかなかどうして志の高い快作。人気ゲームの映画化とのことで、宿敵の考古学者などが既知のキャラとしてすんなり描かれていくのすら面白し。世界ロケ敢行のスケール感(厳寒の地に舞台が移った途端に画面に鳴り響く倍音唱法ホーミーが何ともクール!)や、ロンドンが舞台ゆえのサンダーバード的格調(パーカーのようにいい味出してる執事や、ブレインズのような発明オタクも屋敷に同居)もわくわく。主演のA・ジョリーの松本清張ちっくな唇もセクシーさと逞しさを共存させてますぞ。
(初出・REAL東京)
「シャドウ・オブ・バンパイア」  
「ロック・ユー」  
「スコア」  
「猿の惑星」

「A.I.」ほどではないが、予想と異なる映画がまたひとつ。予告やポスターの沈んだ色調や“監督ティム・バートン”のクレジットから期待したダークなマイノリティへの愛情はなく、ひたすら手際よさが目立つ。本作は“巨額を投じて作られた小品”であり、なるほど監督はそういう人でもあったことを思い出させられる仕組みになっている。製作費回収のため大作イメージで売らざるを得ない気持ちもわかるが「マーズ・アタック」のような売り方が正解だったのでは。そんな、人を食ったスピリッツ、嫌いじゃないですけど。
(初出・REAL東京)

 

今年は、予想と異なる中身の大作が2本並ぶ夏である。「A.I.」のような異なり方ではないが、予告やポスターの沈んだ色調や“監督ティム・バートン”のクレジットから期待したダークなマイノリティへの愛情はなく、ひたすら手際よさが目立つ。「スター・ウォーズ エピソード1」的なイメージを抱いていた大軍団決戦シーンも、「ハムナプトラ2」の方がまだスペクタクル感あり。そう、本作は“巨額を投じて作られた小品”であり、そういえばこの監督はそういう人でもあったことを思い出させられる仕組みになっている。いろんな特撮をあの設定だけ借りてやってみたかった自主8ミリ野郎の精神に溢れたハリウッド大作。「マーズ・アタック」のような売り方が正解だったのかも。
(unreleased a little bit long version)

「コレリ大尉のマンドリン」  
「セイブ・ザ・ラスト・ダンス」  
「ジュラシック・パークV」  
「GO!」 (←宮藤官九郎の脚本じゃない、同名異作)  
「ファイナル・ファンタジー」 我が国の漫画&アニメが世界のトップレベルに至った原動力は、役者の層の薄さ・予算不足などからハリウッドレベルの実写製作が不可能であることの「ストレス」にありと踏んでいる。ゆえにこの超リアルCG映画の誕生は実に必然的。皮膚のシミなんてもう感動(シンセの使いこなし方同様やはりキーは生身感でした)。こんな手法はハリウッドでは不要(本物のアメリカ人を使えばよいから!)だが、日本にとっては、スペクタクル系作品さえも今後は同じ土俵で勝負していける時代の到来だ! 悪い意味で“昨今のアルマゲドン的映画的演出”(例:目の前で仲間が殺される時、主人公が“Nooo〜!”と絶叫etc.)もあるが、大丈夫。まずは長年の憧れを満たしてるだけだから。
(初出・REAL東京)
「シャム猫」 モンキー・パンチがルパン以前に構想した作品のアニメ化、峰不二子的美女2人が繰り広げる、大人のお色気アクション巨編。藤原紀香をも魅了する(可能性大)かと思いきや、逆の意味で衝撃。全編に渡ってあまりに稚拙で安上がりに作られた感じなのだ。バッタ物のようなキャラデザイン、冗長な演出。セル枚数の少なさも劇場用長編とは思えない。繁華街の雑踏シーンで主人公以外は談笑ポーズのまま静止画像、そんな場面が満載。アニメ学校卒業制作のような味が好きな人にお勧め。
(unreleased)
「ラッシュアワー2」 こちらをご覧ください(初出・『POP ASIA』 38号 (2001年10月))
「ビューティフル」  
「スキゾポリス」 「わかる」か「わからない」かしかない名作。複数の物語が微妙に交差したり離れたりしながら「この世の仕組み=並行して存在する様々な人生の絡み合い」が表現されていく。それも、「映画の約束事を壊す実験」を盛り込みながら。手塚治虫の漫画で言えば、殴られた主人公がワク線を突き破って隣のコマに行ってしまうのにも似て、小劇場で言えば“演劇弁当 猫ニャー”に似て。こうした監督の意図を理解すれば、裸眼立体視の紋様のようにすべてが浮かび上がってくる。むしろ大笑いして観るべきだ。ケラリーノ・サンドロヴィッチが別役実の戯曲をそう看破したように。
(初出・REAL東京)
〈このlong versionが『クイック・ジャパン』40号に寄稿したものとなります〉
「ショコキ」 小劇場系演劇界から最近はテレビに進出のジョビジョバ総出演、リーダーのマギー初監督作品でもある今作は、エレベーター(つまり昇降機)の中の密室コメディ。悪くはない。が、ゆるい。「映画製作者は、“演劇界の誰に今、映画を撮らせたら一番面白いか”を真剣に考えるべきではないか」という思いに駆られた。個人的には、まず“ナイロン100℃”そして“大人計画”。別ジャンルでは“イッセー尾形”。この3者に好きなものを撮らせたら、少なくとも“残る”作品が誕生する。そう思うのだ。
(初出・REAL東京)
「ひとり寝」
確信犯的に、モノクロ。確信犯的に、昔の日本の町並み&静かな古い家。しかし、舞台はまぎれもなくこの21世紀(わずかにストリート・シンガーの登場などで観客は我に返る)。榊原るみという女優が、若尾文子(陰)と酒井和歌子(陽)の中間の香りを持っていることに気付かされるのも偶然ではないし、米倉斉加年が佐分利信のムードを醸し出しているのも偶然ではない。現代に、昔の日本映画を作ってみせたのだ。時あたかも「アザーズ」のニコール・キッドマンが、ヒッチコック映画のような古典的な香りを醸し出している潮流と無関係ではない気がする。(公開は2002年)
(初出・REAL東京)
「ポワゾン」  
「ブリジット・ジョーンズの日記」  
「モード・イン・フランス」  
「陰陽師」  
「スイートノーベンバー」  
「ソードフィッシュ」 冒頭、トラボルタがカフェでメディア論を語ってから店を出る場面は、ぞくぞくするほどの名場面。エポックメイキングな爆破シーンと共に観て損はなし。音楽が実にクールだと思ったら、アシッドハウスの創始者DJが担当とか。敢えて不満を挙げれば「観客全員がこの映画のミスディレクションにハメられた」という宣伝コピーほどにはスマートなどんでん返しではないこと。フェアな推理小説のように、最初から見返してみてなるほどと思わせる構成でないと、TVのマジック・ショーで特撮を使ったようなもので、いささかアンフェア。
(初出・REAL東京)
「怪獣大決戦ヤンガリー」 「ファイナル・ファンタジー」と異なり、実写で“ハリウッド映画”(更に具体的に言えばGODZILLA)を模倣した作品。役者は欧米人、破壊される街の看板も英語。68年版ヤンガリーの方が、韓国フレイヴァ−満載の“東宝ゴジラ映画”をやろうとした分、異国情緒の面で楽しめた。あと、ゴジラ映画史でいう、初期悪役ゴジラ〜それ以降の善玉(悪い怪獣と戦う)ゴジラまでを1作の中でやるのは駆け足すぎ。怪獣のデザインも、どうせ着ぐるみでなくCG(低予算)でやるなら、人が入ること前提のデザインから解放されるべき。ゴジラの壮大なパロディ映画として観るならお勧め。
(初出・REAL東京)
「GRASSHOPPA!」(映像マガジン創刊試写)  
「ペイン」  
「ピストルオペラ」  
「SEX:EL」  
「耳に残るは君の歌声」  
「みすず」  
「カラー・オブ・ペイン 野狼」  
「GO」(窪塚主演)  
「スパイキッズ」  
「赤い橋の下のぬるい水」 役所広司と清水美砂で、このタイトル。中年の恋を描いた無難な邦画かと思いきや、意外な収穫。ネタバレになるのではっきりは書けないが、艶笑たんというか“大人の童話”だったとは。観た後は、長いタイトルも生々しく息づき、忘れられないものとなる。でもこれは日本人が日本語で展開していくから面食らうだけで、実にヨーロッパ映画的な作品なのだ。フランスの北海あたりの漁村だと思えば、漁船で網を引く人々・釣り糸をたれる老人・昔美人だったらしい老婆…、どの設定も確信犯だとわかるし、カンヌで受けたのもよくわかる。
(初出・REAL東京)
「ヘッドウィグ・アンド・アングリー・インチ」  
「ヤング・ブラッド」

"三銃士"である。が、「スター・ウォーズの時代劇版」という錯綜した眼でも楽しめる(逆に言えば、古き良き時代の騎士活劇たんをルーカスが如何にうまくSFに置き換えていたかを再確認できるのだが)。「スター...」でもおなじみ、ラストの受勲式で冒険を共にした者同士がハニカミながら交わす含み笑いに、「ローマの休日」のラストもこの場面の本歌取りであったかと様式伝統を遅ればせながら実感。騎士映画の弱点だった"殺陣の鈍重さ"も香港の殺陣師を招き払拭、エクストリームな新基準を提示した。そういう意味では、西洋チャンバラ映画界における「マトリックス」的記念碑。
(初出・REAL東京)

 

誰が歌う「スタンド・バイ・ミー」に愛着を覚えるかで世代がわかる。50代以上はベン・E・キング。30〜40代はジョン・レノン。しかし、80年代に映画主題歌でキングのバージョンが使用されて以降、その下の世代はベン・E・キングで、ジョン・レノン派は“古い世代”と見られているのだ。この映画を観て、そういう図式を思い出した。
西洋版チャンバラ物語である“三銃士”のリメイクであるこの映画を、「スター・ウォーズの時代劇版」という錯綜した見方で楽しむ自分を感じたのだ。それはひとえに、ルーカスが古き良き時代の騎士たんを如何に巧みにスペースオペラへと置き換えていたかの証明でもあるのだが。“この馬車はミレニアムファルコン号”、“こいつらはストゥーム・トゥルーパー”、“この馬は森の中を飛ぶバイク(名前忘れた)”と思って楽しんでしまう。まさに逆転構造。ラストの皇室からの受勲式で、冒険を共にした同士、壇の上と下で交わす含み笑い。そうか、ローマの休日のラストもこの設定の系譜だったのかと遅ればせながら腑に落ちる。
黒澤明の「隠し砦の三悪人」をレンブラントのような色調で描いた快作。そういえば黒澤に比較して「スター・ウォーズ」がグッと劣る点は、スローモーすぎるチャンバラ場面だった。しかしハリウッドは、その補強に今回は香港映画界トップの殺陣師シャン・シンシン(「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」シリーズを迎えた。チャンバラの場面は、回転斬り・転がる樽の上・ロープぶら下がり・梯子のハシゴと、いよいよ無敵である。これぞ、エクストリーム・チャンバラ。まさに21世紀の正統派チャンバラ映画の誕生である。西洋が東洋を招いて、一気に飛躍するのは「マトリクス」以降どんどん証明されている。東西が手を結ぶことが人類にとって段のついた成長をもたらすという例が次々ハリウッドから積み重ねられていくのは、21世紀の世界の方向を象徴するようで希望が持てるではないか。
(unreleased long version)

「ヴィドック」 「ヤング・ブラッド」「ムーラン・ルージュ」「ハリー・ポッターと賢者の石」、そしてこの映画と観たところで、今ハリウッドの潮流は“昔々”のクラシカルな時代を舞台に“デジタル技術を活用”しつつ“重厚な色調”でまとめた作品だと実感。今後もその流れを汲むものとして、「ジェヴォーダンの獣」「ロード・オブ・ザ・リング」が日本で公開予定だ。ヴィドックとは、フランス人ならみんな知ってるらしい19世紀の実在の人物で、元囚人で脱獄王、後に犯罪者とのコネを自由に操る私立探偵となった人物で変装の名人だという(すごいね)。虚実入り混じったイメージで浸透しているヒーローという点で、日本でいえば清水次郎長なんか近いかもしれない。この映画は、そんな彼が連続殺人鬼“鏡の顔を持つ男”に殺される場面から始まる。そして重厚に丁寧に謎を描きながらその犯人を追っていく。色彩や美術は一軒の価値有り。惜しむらくは、江戸時代末期の頃のフランスが舞台の猟奇犯罪捕物帳だったはずが、最後の最後でハンパにSFになってしまうところか。
(初出・REAL東京)
「ムーラン・ルージュ」
 
「プリティ・プリンセス」  
「ジェヴォーダンの獣」
 
「アクシデンタル・スパイ」
ジャッキーがハリウッドで活躍するのを観るのも胸がすくけど、勝手知ったる香港で史上最高の制作費を投入して作った超大作もまた良し。ジャンルとしては、巻き込まれ型のスパイ映画で、香港・韓国そしてミステリアス・ムード満点のトルコと世界をまたにかけ、気分は“拳銃無用の007”。とはいえそこはジャッキー。とにかく強いがニヒルではなくコミカル。中でもトルコ風呂〜市場まで延々の全裸(!)格闘シーンは、おそらくアクション映画初のチン場面(笑)では!? 香港のダイナミックさは雑さとも表裏一体だが、久々に野趣あふるるジャッキーも悪くない。
(初出・REAL東京)

「青い夢の女」  
「シュレック」
 
「ハリー・ポッターと賢者の石」 “重厚な色調”や“クラシカルな時代背景(美術デザイン)”という2つの要素は今後しばらく洋画界のトレンドとなりますぞ。この映画はその系統では確実に必見の1作。どの小道具も趣向も、魔法的なセンス・オヴ・ワンダーに満ち満ちてます。全体の造りの丁寧さ、つまりは原作に対する敬意の払い方に拍手を贈りたい。入学式のときめきや不安・居並ぶ先生達の荘厳さ・各先生による最初の授業の新鮮な気持ち・新しい友達…そんな“春がすみのような初々しい空気感”こそが、この映画の底に流れる素晴らしき隠し味と見た。子供じゃなかった大人はいないから。
(初出・REAL東京)
「バンディッツ」  
「フロム・ヘル」
 
「キリング・ミー・ソフトリー」
 
「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」 「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」
各分野で受け手だった世代が送り手となる素晴らしき時代の波がついにゴジラ映画にも到来。日本から本家の誇りを込めて世に問うゴジラ映画が誕生した! 金子修介監督の新生ガメラ映画に陶酔しつつ「こういうゴジラ映画を誰か撮ってくれ!」と誰もが祈った夢が「ゴジラも金子修介が監督する」というコペルニクス的展開で実現。監督自身の感慨や喜びも、構図・脚本・音楽からびしびし伝わる。初の“白眼”ゴジラのピカレスク感はファンみんなが授業中に描いた理想像。いにしえの第一作以外はなかったことになっているリセット設定も◎。
(初出・REAL東京)

ガシャポンやソフビ人形あたりから明るみになったことだが、今まで受け手だった世代が各分野で送り手となり、「子供の頃こんな出来のが欲しかったんだよな」というものを創り上げている素晴らしき我らが時代。その時代の波がついにゴジラ映画にも到来。本家の誇りを込めて、日本から世に問うゴジラ映画の誕生である。
そのきざしは、金子修介監督による大映ガメラ映画の新生にあった。格段のリアリティをもって都市を破壊しまくるガメラの姿に、誰もがゴジラをだぶらせ「こういうゴジラ映画を観たい!」と切望していたのは厳然たる事実である。そんな夢が“ゴジラをも金子修介が監督する”というコペルニクス的展開で実現したのがこの作品なのだと言えば、感慨をわかっていただけるだろうか。監督自身の「ゴジラを撮りたいんだよなあ」という思いは当然ガメラにも溢れていたから、そんな感慨も全体にあふれている。
史上初の不気味な“白眼ゴジラ”(=黒眼がない)は凶悪ゴジラの絵を描こうとした男の子なら誰もが一度は描いたことのある理想像だし、いにしえの第一作「ゴジラ」以外のエピソードはこの世になかったことになっているという“パラレルワールド設定”は、リアリティを出す上で功を奏している。つまり、ゴジラ以外の怪獣が出ても誰もその名を知らないのだ。物語の中盤で、自衛隊の若手が上官に進言する。「指揮の混乱を避けるため、ゴジラ以外の複数の怪獣に、とりあえずモスラ・ギドラ・バラゴンと呼称を定めました!」「…なんだ、お前ずいぶん嬉しそうだな」。このセリフに泣けるかどうかで、怪獣映画への思い入れが判断できる。
伊福部昭の永遠の名曲も何曲か登場するこの作品の登場で、『GODDZILA』を作ったハリウッドや『ヤンガリー』を作った韓国(セリフでも明確にゴジラをライバル視していた)は、日本製怪獣映画の真髄を見せつけられたに違いない。

(REAL東京に寄稿したものを字数の制約なく書いたunreleased version)
「仄暗い水の底で」  
「ラット・レース」
 
「殺し屋1」
気色悪い&痛そうなシーン満載の映画。試写室でも、つい身をよじってしまい椅子をミシミシいわせてしまう音や、トホホと笑うより他にないといった声に溢れていた。それでも最高にスタイリッシュでいかした1本。とにかく浅野忠信。今の彼はこの時代の気分に溢れている。あと20〜30年たてば、松田優作のような形で神格化されるだろう。寺島進・塚本晋也・松尾スズキほか脇を固めるキャスティングも最高。ちなみに「殺し屋」というシリーズの第一作目ではなく、1という名の殺し屋です。念のため。
(初出・REAL東京)
「鬼が来た」(中国)  
「スパイ・ゲーム」  
「サウンド・オブ・サイレンス」  
「ソウル」  
「オン・エアー」  
「快盗ブラック・タイガー」  
「少年と砂漠のカフェ」  
「私が女になった日」  
「花子」 知的障害者の花子が6年前に食べ残しを手で畳の上に積み上げた。母親は「これはアートだ」と写真に撮り、今や写真は2000枚を超える。焼き魚の骨や野菜の煮物などをただ並べたり積んだりしたその情景は、色彩的にも美しいわけではないし、花子に意図やテーマがあるわけでもない。しかし、食べ物を積み上げるというのは、生存本能とは別の「無駄な行為」。ラスコーの洞窟壁画と同様に、その行為をさせる「衝動」の呼び名、それこそが“アート”なのだ。そんなことが体感できた60分。
(初出・REAL東京)