李小龍(ブルース・リー)の生涯の悲願、(そして死の直後に結果として実現させた)“東洋人主演のメジャー配給マーシャルアーツ映画”は成龍(ジャッキー・チェン)を経て、いよいよ定着期に入った観がある。そもそもこの映画がリュック・ベッソン・プロジェクトとして製作発表された時にも世間の人々がもはや(ジャンル認識として)誰もゲテモノ企画だなんて思ったりしなかった今の時代というのは、70年代前半の状況から比べると実に隔世の感がある。

李連※(ジェット・リー)が香港時代後半に「ブラック・マスク」で演じた“(辮髪でなく)現代に生きる彼”は、ハリウッド進出第一作「リーサル・ウェポン4」でそのまま基本イメージとなり、「ロミオ・マスト・ダイ」そして本作といよいよクールに確立された。今や「少林寺」の頃の“固さ”すら、“東洋のミステリアスな寡黙さ”――龍争虎闘(燃えよドラゴン)」での李小龍のキャラクターでもある――として昇華されている。

もし李小龍がずっと生きていたら、本作のジェット・リーのように“現代のフランス”で巨悪を相手に生身で無敵ぶりを発揮していたのかも知れない。そう考えると、ジェット・リーが「精武門(ドラゴン怒りの鉄拳)」のリメイク「精武英雄」に挑戦した意味も、その遺志を継ぐ者(の一人)であることの確信犯的な意思表示に見えてくる。ジェットぉ、いい奴じゃん。(宮永正隆)

【POP ASIA 37号 (2001年8月)】